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羽田空港C滑走路 海保機と衝突炎上するJAL機!!乗客乗員全員脱出 奇跡の18分!!世界が称賛した救出劇のヒロインたちは新人CAだった!!

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羽田空港から見える夕日に染まる富士山 備忘録

令和6年は年が明けた1日から能登半島地震が発生し、翌2日には羽田空港のC滑走路上で、能登へ支援に向かう海上保安庁の飛行機と乗客乗員379人を乗せたJAL旅客機の衝突事故が発生しました。

残念ながら海上保安庁の乗組員6名のうち5名が亡くなってしまいましたが、日本航空(JAL)516便は乗客・乗員全員が無事に脱出でき、全世界より称賛されました。

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JAL516便

羽田空港で事故を起こしたJAL機の写真
2022年に撮影された事故機 機種 エアバスA350-941 引用元:「羽田空港地上衝突事故」
(2024年2月4日 (日) 00:30  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

令和6年1月2日 新千歳空港15時50分発 JAL516便は定刻より10分遅れた16時に出発しました。
エアバスA350-941 JAL516便には乗客367人と乗員12人の合わせて379人が搭乗し、ほぼ満席でした。

年末年始などは、多くの観光客・帰省客などが、沢山のお土産を持って乗り込み、荷物を収納場所に収めるのに時間がかかり出発が遅れがちになりますが、2日のJAL516便も似たような状態だったのではないでしょうか。

新千歳空港を飛び立つJAL機(事故機とは関係ない)
新千歳空港を飛び立つJAL機 事故機とは関係ありません  翔びくらげ撮影
ピンク色が新千歳から羽田行の主な空路

跳びくらげ自身も、数年前に仕事で毎週札幌へ行っていました。JALの新千歳ー羽田間は幾度となく乗り、フライト中のサービスや窓からの景色を鮮明に覚えています。

事故を起こした、JAL516便も新千歳空港を離陸した後、北海道の内浦湾を越え、函館市の上空を越えて、本州に入り、太平洋側の海岸線に近い山沿いを羽田空港に向けて快適に飛行してきたと思います。

北海道方面からの羽田空港行は、上図ピンク色の線のように南下し、房総半島へ向かい、茂原市上空あたりで木更津方面へ旋回し、東京湾アクアブリッジに並行して羽田に向かいます。

17時30分時点での羽田空港では西風1.6メートル毎秒 (3.1 kn)が吹いており、17時54分時点での視程は30 kmだったそうです。ちょうど西の空に太陽が沈み、真っ赤な夕焼けが窓から見えていたと思います。

羽田空港を利用する航空機の着陸方法 引用元:千葉県のホームページより

17時47分ごろ、34R滑走路(C滑走路写真の赤線)にJAL516便が着陸した直後、海上保安庁 みずなぎ1号(写真青線)に衝突して火柱が上がり、そのまま煙と炎を上げながら滑走(赤線矢印部分)します。

2021年に撮影された事故機 デ・ハビランド・カナダ DHC-8-Q300(MA722)機体名 みずなぎ1号 
引用元:「羽田空港地上衝突事故」(2024年2月4日 (日) 00:30  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

着陸するJAL機が途中で爆発炎上し走行する衝撃な映像がニュースで流れたのを見ておられると思います。

みずなぎ1号は、被災地向けの物資を中継場所となる新潟航空基地へ搬送する途上でした。
6人が搭乗しており5人が死亡、機長は自力で脱出しましたが重篤だそうです。

第三管区海上保安本部 羽田航空基地  翔びくらげ撮影

今回の事故はエアバスA350における世界初の機体全損事故であり、JAL所属の機体が起こした全損事故では1985年8月12日のJAL123便墜落事故以来となるそうです。

JAL123便墜落事故 38年前の教訓

1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)の18時12分 JAL123便は羽田空港を離陸します。
JAL123便は羽田空港発大阪伊丹空港行きの旅客便で、離陸から44分後の18時24分頃、伊豆半島上空に差し掛かった所で、突然操縦不能に陥ります。
機長と副操縦士が懸命に操縦不能となった機体を操作し、近くの飛行場へ着陸を試みますが、迷走飛行の末、18時56分ごろ群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落してしまいます。

乗客乗員520人が犠牲となり、奇跡的に助かったのは4人だけでした。
単独機の航空事故の死亡者数として過去最多の犠牲者を出した航空機事故となりました。

2006年(平成18年)4月24日、東京国際空港整備地区に『日本航空安全啓発センター』が開設されました。

日本航空安全啓発センター(にほんこうくうあんぜんけいはつセンター、単に安全啓発センターとも)
日本航空(以下、JAL)が航空安全を啓発するために運営する教育・展示・研修施設である。
開設当初、東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)第2総合ビル2階にあり、東京モノレール羽田空港線・整備場駅から徒歩5分圏内の場所にあったが、2013年(平成25年)9月30日を以って一時閉館し、同年12月10日より、新整備場駅近くにあるJALメインテナンスセンター1内6階に場所を移し、再び開館された。
安全啓発センターの主な目的は、JALグループ社員の安全意識の確立である。主な展示は1985年に起きた日本航空123便墜落事故に関するものである。
リンク先
日本航空安全啓発センター

JALグループ階層別安全教育 (以下引用元:日本航空ホームページより

御巣鷹の尾根への慰霊登山の様子

三現主義(現地・現物・現人)」に基づき、御巣鷹の尾根への慰霊登山や安全啓発センターの見学、事故に直接携わった方々の映像視聴などを通して安全について考えます。そして、最後に自らの考えを安全宣言として言語化することで、日々の自らの行動と結びつけています。

新入社員安全研修
JALグループの新入社員を対象に「日本航空の過去の事故について知る・感じる・考える」、「社員一人一人が、安全を堅持するために、当事者意識を持って何をしなければならないかを深く考える」ことを目的として実施しています。

10年目安全研修
JALグループの10年目社員を対象に「職場のリーダーとして、チームの中で後輩や仲間への安全意識向上を促す模範となるとともに、小集団をけん引するために必要な視点や考え方を学ぶ」ことを目的として実施しています。

新任管理職安全研修
JALグループの新任管理職を対象に「組織や部下を率いる立場として業務と安全とのつながりを認識し、安全を守っていく覚悟を新たにする」ことを目的として実施しています。

JALグループ安全啓発セミナー
JALグループ社員と業務委託先スタッフを対象に、安全啓発センターの見学や御巣鷹の尾根への慰霊登山、2.5人称の視点セミナー、異業種交流安全セミナーなどの社員が自発的に参加するセミナーを開催しています。国内外から職種や地域を越えて社員が参加し、安全について対話することで安全意識の向上に努めています。

安全啓発セミナーでの慰霊の様子

新人CAの奮闘

日本航空の客室乗務員は、入社後約2か月の初期訓練に入ります。
この訓練は、保安要員としての訓練と、サービス要員としての訓練に大別されます。 保安要員としての訓練では、緊急時の対応や安全に関する知識を学びます。サービス要員としての訓練では、飛行機内での接客やマナーについて学びます。

777のモックアップからシューターで脱出するJALの教官ら  引用元:PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire

また、新人訓練を終えた後、国内線を約1年間担当した後、国際線業務に移行するためのトレーニングを行います。 国際線移行訓練のメインとなるのが、実際の座席を模した空間で行う「モックアップ訓練」です。
この訓練では、客室乗務員が実際に飛行機内での業務を体験し、感知力や人間力を磨くことができます。

今回の事故では、乗客が撮影した動画が一部テレビなどで放送されましたが、CA(客室乗務員)による懸命な呼びかけと避難誘導が適切であったと思われます。

子供が「早く扉を開けてください」と叫んでいる動画、通路にうずくまっている乗客を席に誘導している動画。衝突後、炎に包まれ、煙が客室にどんどん入って来る状態で、乗客から「なんで早く出さないんだ」と声が上がる動画。

公表された動画はどれも悲惨な状態を映し出していました。

この時、衝突の影響でアナウンスシステムが故障し、また機長とも連絡がつかず、CAの判断で肉声やメガホンで乗客を落ち着かせてから誘導しました。

飛行機には8箇所のドアが付いていたそうですが、そのうち5箇所のドア付近で火災のため使用不能と判断し、前部両舷と後部左舷の緊急脱出スライドを展開して脱出を開始します。

乗客乗員379人を衝突からわずか18分で脱出させることに成功しました。
CA達は訓練で学んだことを必死に行った成果だったと思います。

一人も犠牲者を出さなかった奇跡の救出劇には、国内だけでなく、海外からも賛辞とねぎらいの声が贈られました。

事故に遭ったJAL516便に搭乗していたCAの約半数が’23年春に入社したばかりの新人だったそうです。
このことが後に判り、日本航空の社員も驚くとともに、新人CAたちに称賛を贈ったそうです。

「実際にここまで深刻な事故を経験したCAは社内にほとんどいません。本当は自分たちも怖かったはずなのに、冷静な対応を見せた彼女たちは真のヒロインです」(JAL・現役CA)

炎上するJAL516便 シューターで脱出する乗客 引用元:BBCニュース

翔びくらげ
翔びくらげ

今回の事故で亡くなられました海上保安庁の5名の犠牲者に哀悼の意を捧げます。
また、今回の事故ですべての乗客を救出された日本航空の皆さんに心より感謝します

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

【参考文献】

「羽田空港地上衝突事故」(2024年2月4日 (日) 00:30  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
JAPAN AIRLINES ホームページ
Yahoo! JAPANニュース
Aviation Wire Corporation

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