日本には仏を目指し、自ら即身仏になった人がいます。現存する最古の即身仏について調べてみました。
即身成仏と即身仏の違い
即身仏は修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになったお姿だそうです。
即身成仏とは「生きた人間が現世に存在しながら、大日如来と結合して仏となる」という意味だそうです。それであれば生きたまま即身成仏になられた僧侶はいるのかと調べましたが判りませんでした。
即身仏について
即身仏になろうとする行者は、死後に肉体が腐敗しないよう身体を整え、ミイラの状態に身体を近づけていくために木食修行を行うそうです。
米や麦などの穀類を断ち、木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎながら、経典を読んだり瞑想を行います。最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、皮下脂肪が落ちていくそうです。
次に筋肉が糖として消費されていくそうです。漆の茶を飲み、嘔吐することによって体の水分を少なくし、さらに漆の防腐作用を身体に浸透させていきます。
そして生きたまま地中の箱に入り、節をぬいた竹で箱と地上を繋ぎ、空気の確保します。行者は地中の箱の中で読経をしながら時々鈴を鳴らします。地上で弟子の僧たちが竹筒から聞こえる鈴の音を聞き、行者の入定(亡くなられ仏になるとき)を判断したそうです。
鈴木音松の生涯
弘智法印は、鎌倉時代(西暦1290年代)に、千葉県匝瑳市大浦の鈴木五郎左ェ門の次男「音松(おとまつ)」として生まれました。
音松は幼少のころに、同じ大浦村にある「蓮花寺(れんげじ)」に入信し、出家して僧となり「真諦(しんだい)」と名のり活動します。
なぜ出家したのかは確定的なことは分かっていませんが、この頃より偉人の資質を父親が見抜き、父の心遣いで出家させたとも言われています。
弘法大師の高野山や日本の各地で修業をした真諦は、さらに民衆に仏教の教えを説くために見知らぬ土地を訪ね、その地にとどまり仏教の教えを説き、さらには寺院を創設する活動を行い、定住することなくまた次の地へ向かいました。
このように伝道の旅をひたすら繰り返してきた弘智法印ですが、自ら仏になるため入寂する地(にゅうじゃく:肉体をもってこの世に現れた仏が涅槃に入ること。)をさがす最後の旅に出られます。
入寂の地を探し、日本海に沿ってすすみ、越後へとたどり着きます。
越後の弥彦山「猿ケ馬場」の峠を越えた時、仏法僧鳥の鳴き声を聞いた弘智さまは、その声をたよりに山を分け入ったところ、「岩坂」にたどりついたのでした。
御仏の導きでたどり着いた地は、滝がある静寂な場所で、まさに仏と成るための修行「木喰行」を行うには最高の地でした。そこが西生寺奥の院になります。
西生寺
弥彦山山中の西生寺境内に、小さな修行小屋を建て、それを「養智院(ようちいん)」と名付け、自らの名を「弘智」としました。
こうして弘智さまの三千日(8年と少し)にも及ぶ、厳しい「木喰行(もくじきぎょう)」が始まりました。「穀十穀断ち」や「一字一石経」、「座禅」、「滝行」、一日1万800反の「礼拝行」などの修行を行いました。
即身仏の修行
※穀十穀断ち…米などの穀類を断ち、その代わりに野梨や野いちご、かやの実、
熊笹の葉の芯などを食べる事によって身体を浄化し、腐りにくい体質に変える修行法です。
※一字一石経…「般若心経」の経文字を、一字ずつ小石に書き入れたものを、弥彦山や
村中に埋めました。高野山修行中に思い付いた「弘智さま独特の行」といわれています。
※座禅と滝行…「不動の滝」「龍神の滝」と2つの滝があり、弘智さまは「座禅石」で
座禅を組み、午前中は不動の滝、午後は龍神の滝で行をしたと伝わっています。
3000日間続けられた、即身仏となるための厳しい修行を成満された弘智さまは、1363年(貞治2年)10月2日、座禅を組んだままの御姿で土中に御入定されました。
弘智さまは、「われ、終焉の後は必ず遺身を埋葬する事なかれ、このままにして弥勒下生の暁を待つ」
と固く決意をのこして入滅されました。「縁起」には「宗教家としての救世の信念、弥勒菩薩が世に下り、末法の乱世を救えるまで、我が身を残してこの世を救わんとの信念、実に偉大なものである」と記されています。
西生寺について
開山
天平5年(西暦733年)
開祖
行基菩薩(ぎょうきぼさつ)
御本尊
上品上生阿弥陀如来仏(じょうぼんじょうしょうあみだにょらいぶつ)
真言
オンアミリタテイセイカラウン
御利益
現世の安穏・極楽往生
当院の阿弥陀如来さまは、9クラス(九品印)ある阿弥陀さまのうちの最上級とされる「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」の阿弥陀如来仏です。
「秘仏」とされており、普段は厨子の中に収められ扉が閉ざされているので、その御姿を拝見することはできません。12年に1度の子年(ねどし)に限り、1ヶ月にわたり御開帳されます。 西生寺HPより
西生寺の奥の院に御入定された弘智上人は現在も即身仏としてお祀りされています。
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