羊太夫の伝説は、関東の各地に多く残っていますが、驚くことに、名古屋にも羊太夫の伝説が残っていました。
今回、名古屋の羊神社へ行ってきました。
名古屋にある羊神社
創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』において山田郡羊神社、『尾張国内神名帳』において従三位羊天神として記載されており、当時既に祀られていたことがわかります。
延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。
引用元:「延喜式神名帳」(2023年11月1日 (水) 19:43 UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
社殿は天保9年(1838年)8月に完成したという記録が残っています。
明治5年(1872年)、村社に指定されます。火除けの神として信仰され、第二次世界大戦においては氏子は空襲による焼失を免れたそうです。
また、「羊・ひつじ」の名から「火・ひ」を取った当地の地名「辻町」の由来になったとされています。
社名は上野国多胡郡を支配していた多胡羊太夫が奈良の都に参勤する際に立ち寄る屋敷があったことにちなむとされているそうです。
羊神社にはひつじがたくさんいました。残念ながら参拝した際は、手水舎の羊の口から水がでていませんでした。
羊神社 ひつじ-じんじゃ
所在地 名古屋市北区辻町 5-26
創建年 不明(延長5年(927年)には建立されていた)
旧社格・等級等 村社・八等級・式内社
祭神 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
アクセス 地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約10分。
その他 例祭 10月18日
引用元:名古屋神社ガイド
羊神社の位置
羊太夫の伝説がなぜ、名古屋もあるのか?とGoogleマップを見ていて、ひらめきました。
群馬県にある多胡郡と奈良にある藤原宮に直線を引いて見ました。すると、その線は見事に名古屋の上空を通りました、さらに羊神社のすぐ近くを通っていたのです。
その直線は、群馬の多胡郡から奈良の都へ向かうルートであれば、地上ルートではなく、空を飛んで移動したと考えられる直線ルートでした。
途中の名古屋が中間点で休憩?燃料補給?いずれかにせよ、名古屋の羊神社で途中休憩したと考えられます。
羊太夫が「稲妻の如くスピードで群馬の多胡より移動し、奈良への参勤の途中でこの地に降り、休憩し、再び奈良の都に向かったという」、伝説が事実であったことを立証する神社が名古屋にありました。
群馬県内だけに残る伝説であれば、古の時代より伝承されたことに多少尾ひれがついて、羊太夫伝説が、「空を飛んだ」と誇大な伝説になったのかもしれません。
しかし、遠く離れた名古屋の地に、歴史ある神社が建立され、群馬と同じ伝説が残っていることは、羊太夫伝説の信憑性がとても高いと思います。
古代に空を飛んだ伝説は各地に残っています。その伝説の様に羊太夫も空を飛んで移動していたようです。信じるか信じないかはあなた次第です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。