神社ソムリエやスピリチュアルライターなど多くがこの「天河大辨財天社」への参拝を勧めています。
私が参拝した平日も観光バスで参拝される団体さんが多く訪れていました。
今回は、天河大辯才天社の人気の秘密を調べてみました。
天河大辯財天社の由緒
天河大辨財天社の草創は、飛鳥時代の昔に さかのぼります。龍、水分(みくまり)の信仰で代表され古代民族信仰の発祥地とされる霊山大峯の開山が役行者によってなされたことは 周知のことです。その折大峯蔵王権現に先立って勧請され、最高峰弥山の鎮守として祀られたのが天河大辨財天の創まりです。
その後、うまし国吉野をこよなくめでられた天武天皇の御英断によって壺中天の故事にしたがい現在地、坪の内に社宇が建立され、ついで吉野総社(吉野町史)としての社各も確立しました。
引用元:天河大弁財天社HP
ご祭神
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
・熊野坐大神(くまのにいますのおおかみ)
・吉野坐大神
・南朝四代天皇の御霊
・神代天之御中主神より百柱の神
引用元:天河大弁財天社HP
役行者によって開山された大峯山のひとつ「弥山(みせん)」の鎮守として祀られたのが始まりだそうです。
窮地に立たされた大海人皇子が勝利を祈願し琴を奏じると、天女が戦勝の祝福を示し、皇子は勝利を収め天武天皇に。天女の加護に報いるため「天の安河の宮」の神殿を造ったのが始まりと伝えられ、天川村の名前の由来にもなったそうです。
何故か日本の三大辯財天に入っていない
弁才天(市杵島姫命)を祀る以下の三寺社を三大弁天という。
仏教としての三大弁才天
宝厳寺
大願寺
金亀山与願寺
神道としての三大弁才天
竹生島神社(都久夫須麻神社)
江島神社
厳島神社
引用元:「日本三大弁天」2022年7月20日 (水) 09:21『ウィキペディア日本語版』
昭和40年ごろから一部の神道家達の間で秘めたる日本弁財天総本宮と注目され始め、今は精神世界のメッカ的存在として脚光をあび、今では天河大辯財天社を入れた「日本五大辯財天」と称されている事が多いそうです。
「神様に呼ばれないとたどり着けない神社」と言われる理由は!?
天河大辯財天社は「神様に呼ばれないと行けない神社」とされていますが、これは天河大辯財天社が山の奥にある神社だからです。天河大辯財天社へ続くバスは本数がかなり少ないですし、山道を車で上る最中に車酔いしてしまう人もいます。 また、その山道が崖崩れや大雨などで通行止めになってしまうこともあり、行きたくても行けない人がいるために、神様に呼ばれないといけない神社と言われるようになったとのことです。
参拝するには奈良市内から車で行くことをお勧めします。比較的道が整備されており、道幅もあり恐怖を感じることはありません。私は玉置神社から参拝した為、川に沿った細く曲がった山道を、対向車や突然現れる地元のノロノロ軽トラックなどに遭遇するたびに、顔を恐怖に引きつりつつ、ひたすら走りました。
天河神社への看板に従い車を進めます。
神社に一番近い駐車場は、民家の裏側を回り込んで入ったところにあります。
境内へ
駐車場は神社の裏手になるため、社務所の脇を通り抜けて参道の正面にでます。
呼ばれないと来れない神社に無事に着いたことに感謝しつつ、参道正面から参拝させていただきます。
鳥居をくぐり、参道に「太鼓橋」があります。
太鼓橋を渡る前に「手水舎」があるので手先と口を清めます。
第二鳥居をくぐり石段を登ります。
石段は、地形と建物の形状から右へ曲がって登って行きます。
石段を登りきると拝殿内部は、右手側は神楽殿。左手側は拝殿です。
神楽殿の回廊には吊り灯籠がたくさん配置されていました。灯籠に火を灯す行事があるのでしょうか。
大変神秘的な空間が見れると思います。
残念ながら拝殿などは撮影禁止だそうです。
拝殿を正面から撮影して掲載している人が多数いますが、許可を取って撮影しているのでしょうか。
翔びくらげは御神体を撮影したり、神社などで禁止されているルールは最低限守りたいと考えています。
拝殿から本殿
総桧材で作られた拝殿、そして本殿は入母屋造りです。
遠景から撮影、壮大な桧作りの社殿は、森の中にひっそりたたずみます。
五社殿についての案内
写真奥より
龍神大神 :辯財天の化身なる龍神の神
大将軍大神 :八ッつの杜の内森本神社ご祭神
大日靈貴神 :天照大御神の御別名
天神大神 :菅原道真公
大地主大神 :琵琶山の地主守神
天石の云われ
大峯弥山を源流とする清流は天の川にそそがれ坪内(壷中天)で蛇行し、その形は龍をしのばせる。鎮守の杜、琵琶山の磐座に辯財天が鎮まり、古より多くの歴史を有す。
この地は「四つの天から降った石 三つの湧き出る清水 八つの杜
に囲まれし処とされ、神域をあらわす。その内三つの天石を境内に祀る。
2つ目の天石
拝殿奥の階段を降りると役行者堂があります。天河神社にゆかりのある役行者をお祀りしているそうです。
天河大辯財天社と能
能面「尉の面 阿古父尉 (じょうのおもて あこぶじょう)」
時代 南北朝から室町前期
素材 樟
裏面に墨書で「唐船 奉寄進弁才天女御寶前仁為冗之面一面心中所願成就圓満也
永享二年十一月日 観世十郎 敬白」
引用元:天河大辯財天社 ホームページ
世阿弥は、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師です。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽を大成し、多くの書を残しました。
12歳の時、将軍足利義満の目にとまり、以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになります。
足利義持の時代は、世阿弥はさらに猿楽を深化させていきますが、足利義教の代となり、世阿弥や長男観世元雅へ弾圧が加えられるようになります。
足利義教は、元雅の従兄弟にあたる観世三郎元重(音阿弥)を重用します。
一方、仙洞御所への出入り禁止(1429年)
醍醐清滝宮の楽頭職罷免(1430年)など、
世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われていきます。
父子はやむなく京を離れることになります。不遇の中でも精進を続けた元雅は、神楽が盛んであった天河大辯才天社を訪れ、再起を願い「唐船」という能を奉納、能面を寄進したそうです。
引用元;世阿弥 2024年11月12日 (火) 14:49『ウィキペディア日本語版』
これらのように、能の祖と言われる、観阿弥・世阿弥父子をはじめ能楽の発祥の頃より深く関わってきた、天河大辯財天社は、芸能の守り本尊として古くから信仰があったそうです。
辨財天は辨財天女とも称し、水の神、妙音、芸術、財宝の神として崇められています。天河社殿の杜を、磐境、真名井と崇められ、全体が妙音に響きを感応する斎庭であります。
ずっと昔、悪霊を鎮めたり、祖霊を祀ったりするのに猿楽田楽が奉納され、神人合一の聖地とされていました。特に天河社は辨財天の法義司辨を示し、龍神の長を示されている八臂(はっぴ)法弁財天であり、八百万の神々が集う須弥山とも仰がれていました。
引用元:天河大辯財天社 ホームページ
独特のパワースポット
日本には中央構造線という関東から九州に伸びる長大な断層があります。
中央構造線には、地球のプラスとマイナスのエネルギーが拮抗して磁場がゼロになる「ゼロ磁場」と呼ばれる場所が数多く存在します。ゼロ磁場では、巨大なエネルギーが生まれ、訪れる人々にポジティブなエネルギーをもたらすと信じられています。
中央構造線は、九州の熊本県から関東の茨城県まで列島を横切る日本最大級の断層です。中央構造線上に位置する有名なパワースポットには、次のようなものがあります。
分杭峠(長野県、高千穂(宮崎県、剣山(四国、吉野(奈良、伊勢神宮、諏訪大社、豊川稲荷、高野山、石鎚山、 鹿島神宮などなど。
ゼロ磁場では、地球の磁力のS極とN極がぶつかり合い、磁力が相殺されることで磁場がゼロになります。また、両側の地層が押し合うことで巨大な力が均衡を保ち、特異な空間を形成しています。古来より、人はこの見えない力を感じ取り、治めようとし、取り入れようとしてきました。
天河大辯財天社下にはこの中央構造線がありません。しかしなぜかゼロ磁場が存在していると言われています。
ゼロ磁場には、物理的な要因とスピリチュアルな要因の両方があります。
ゼロ磁場には
物理的な要因とスピリチュアルな要因の両方があります。
物理的な要因
ゼロ磁場は、磁場が存在しない、または非常に弱い場所を指します。これは、以下のような状況で発生します。スピン双極子相互作用:複数の不対電子が存在する分子やイオンで、スピン副準位のエネルギーが分裂する現象。
キュリー温度:特定の温度(キュリー温度)を超えると、磁性材料が磁力を失い、磁場がゼロになる。
(難しい言葉ですみません、これがわかれば空飛ぶ円盤が作れてしまうほどの難しいことみたいです)
スピリチュアルな要因
ゼロ磁場は、パワースポットとしても知られ、以下のような効果があるとされています。
癒やしと疲労回復:自然の多い場所で心身がリラックスし、疲労が回復する。
祈願成就:ポジティブなエネルギーを受け取り、願いが叶いやすくなる。
病気や不調の改善:体調が良くなると感じる人もいますが、科学的根拠はありません。
「四石三水八ツ社」と呼ばれ、4つの天から降った石に、3つの湧き出る聖水、8つの社に囲まれた処を神域とするとあり、境内には3つの石が存在しているそうです。
もしかすると、この3つの石が物理的な要因を作っているのかもしれません。
まとめ
多くの芸能人が訪れ祈願している「天河大辨財天社」がなぜ芸能の神様なのかご理解いただけましたか。
知れば知るほど「スピリチュアル」な神社であることもよくわかりました。
天から降ってきた4石について1つは境内の外となり、その信憑性は薄れていますが、宇宙からの石なのか是非一度調査をしてもらいたいと思います。
今回も神様に拒否されること無く、無事に参拝ができました。この神社の奥宮とされる弥山山頂に祀られている「弥山神社」にも参拝してみたいのですが、往復約7時間近くの登山となり、事前のトレーニングを行い、挑むしかない呼ばれた人でないと本当に行けない神社だと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。