はじめに

幕末から明治にかけて、日本初の女性医師として歴史に名を刻んだ楠本イネ。
彼女はドイツ人医師シーボルトの娘として生まれ、波乱に満ちた運命を歩みました。
その生涯は壮絶でありながらも、医学にすべてを捧げた姿は、現代に生きる私たちに深い感銘を与えます。
さらに、TBSドラマ『仁』に登場する橘咲のモデルともいわれ、多くの人々の関心を集めています。
今回は、楠本イネの生い立ちから最期までをたどり、その苦悩と輝きを描き出します。
シーボルト事件と楠本イネの誕生

楠本イネは1827年、長崎の商家俵屋の娘、楠本瀧とドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとの間に生まれました。
しかし、イネが2歳のときに、シーボルト事件により父は国外追放となり、イネは父を知らずに成長します。母・滝の手で育てられたイネは、早くから父譲りの医学への関心を芽生えさせました。
シーボルト事件
江戸時代後期の1828年(文政11年)に、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、国防上の理由から日本国外への持ち出しが禁止されていた「大日本沿海輿地全図」(「伊能図」)などを持ち出そうとして発覚し、国外追放処分を受けた事件である。シーボルトに地図を贈った幕府の書物奉行兼天文方筆頭高橋景保をはじめとする多数の関係者、蘭学者が幕府によって処罰されたことから、この事件は蛮社の獄に先立つ蘭学者弾圧事件となった。
【引用元】「シーボルト事件」 2025年6月24日 (火) 13:56 『ウィキペディア日本語版』
医学修行と日本初の女医への道
イネはオランダ語を学び、蘭方医のもとで医学修行を開始します。
特に蘭学者・二宮敬作に師事したことは大きく、彼の指導のもと産科医学を習得しました。
厳しい修行の日々を経て、イネは日本初の女医として認められる存在となります。
男性社会の中で女性が医師として立つことは極めて困難でしたが、イネはその先駆者としての道を切り開いたのです。
壮絶な試練 ― 石井宗謙との関係と娘タダの誕生
イネの人生には、華々しい功績とともに深い苦悩もありました。
若き日のイネは、師の一人である石井宗謙との関係から娘・タダ(のちの楠本高子)をもうけます。
しかし、この妊娠については強姦によるものであったという説も残されており、イネの人生に暗い影を落としました。

未婚のまま子を産むことは当時の社会で厳しい偏見を招きましたが、イネは母として、そして医師としてその運命を受け入れ、娘を育て上げます。
幕末動乱の中での医師活動
幕末の動乱期、イネは産科医として活躍を続けます。
長崎や大阪を拠点に診療を行い、多くの女性と子どもたちの命を救いました。
さらに蘭学医や西洋医学者たちとも交流し、日本医学の近代化に寄与しました。彼女の医学は「女性のための医学」として重んじられ、庶民からも信頼を集めました。
明治の世と晩年の孤独

明治維新を迎え、日本社会が大きく変わる中でもイネは医師として診療を続けました。
しかし、生涯を独身で通した彼女の晩年は孤独であったといわれています。娘・高子は後にシーボルトの再来日によって父と対面を果たしますが、イネ自身は父との再会を果たすことなく生涯を閉じました。

1890年、63歳でその生涯を終えたイネの墓は長崎に残され、静かに歴史を語り継いでいます。
ドラマ『仁』と楠本イネの面影
TBSドラマ『仁』に登場する橘咲は、楠本イネをモデルにしたといわれています。
橘咲は、時代の制約の中でも医学を志す強い意志を持つ女性として描かれ、その姿は多くの視聴者に感動を与えました。
イネの実像と重ね合わせることで、現代人は彼女の生涯により深く共感することができます。
おわりに ― 楠本イネが遺したもの
楠本イネは、父シーボルトの血を受け継ぎながら、日本女性としての強さと気高さを体現しました。
数々の試練を乗り越え、日本初の女性医師として道を切り開いた彼女の姿は、今も私たちに勇気を与えています。
ドラマ『仁』で描かれた橘咲のように、医学と人間愛を貫いた楠本イネの生涯は、歴史に輝く不滅の物語なのです。

幕末から明治という激動の時代に、日本初の女性医師として歩んだ楠本イネの姿は、困難に挑み続ける勇気を私たちに示してくれます。彼女の生涯から、皆さんはどんなことを感じられたでしょうか。
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これからも、歴史の中で光を放った人物たちの物語をお届けしてまいります。どうぞ次回もお楽しみに。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「シーボルト事件」 2025年6月24日 (火) 13:56 『ウィキペディア日本語版』
「楠本イネ」 2025年8月4日 (月) 11:44 『ウィキペディア日本語版』
「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」2025年7月23日 (水) 14:36 『ウィキペディア日本語版』