翔びくらげが住んでいる関東地方では、真言宗というと殆どが、「智山派」「豊山派」のお寺です。
真言宗は、古義派(こぎは)、新義派(しんぎは) という系統に分かれているそうです。
この違いは、戒名(法名)の考え方を理解するうえでも、重要な背景となっています。
ここでは、真言宗の古義派・新義派について、できるだけ平易に解説します。
古義派と新義派の違いは「教えの対立」ではありません

まず大切な点として、
古義派と新義派は、教義そのものが対立しているわけではありません。
いずれも空海(弘法大師)の密教思想を正統に受け継ぐ真言宗であり、
- 大日如来を根本仏とする
- 即身成仏の思想を重視する
- 密教儀礼・加持祈祷を行う
といった基本思想は共通しています。
違いが生まれた背景は、中世以降の寺院運営・教学解釈・修行体系の整理の仕方にあります。
古義派とは|高野山の伝統を重んじる系統
古義派とは、
平安時代以来の高野山を中心とした伝統的な真言密教の流れを重んじる系統です。
特徴
- 高野山金剛峯寺を中心とする
- 空海以来の教学・修行体系を比較的そのまま継承
- 僧侶の修行や儀礼を重視
- 伝統的で厳格な密教理解
古義派は、いわば
「真言宗の原点を守り続ける流れ」 と言えるでしょう。
現在でも高野山真言宗として独立した宗派を形成しています。
新義派とは|鎌倉時代以降に発展した新たな体系
一方の 新義派 は、
鎌倉時代以降、社会の変化に応じて真言密教を再整理・体系化した流れです。

代表的な人物として挙げられるのが 覚鑁(かくばん) です。
覚鑁(かくばん)
1095年7月21日、(嘉保2年6月17日) – 1095年7月21日(康治2年12月12日)は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
諡号興教大師(こうぎょうだいし)。肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分2011 新義真言宗大本山誕生院)生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。幼名は弥千歳。
引用元:「覚鑁」2025年9月26日 (金) 11:41 『ウィキペディア日本語版』
特徴
- 教義や儀礼を分かりやすく整理
- 在家信者との関わりを重視
- 民衆への布教を意識
- 葬儀・戒名授与などを通じた信仰の定着
新義派は、
真言密教を社会の中で生かす方向へ発展させた流れ と言えます。
智山派・豊山派は「新義派」に属します
現在、日本で真言宗として広く知られている
- 真言宗智山派
- 真言宗豊山派
は、いずれも 新義派 に属します。
なぜ智山派・豊山派が多いのか
- 江戸時代以降、寺院ネットワークが全国に広がった
- 葬儀・供養・戒名授与を通じて檀家制度に深く関わった
- 民衆信仰と密接に結びついた
その結果、
現代の葬儀で出会う真言宗寺院の多くが智山派・豊山派 となっています。
古義派・新義派と戒名(法名)の考え方
戒名についても、両派に決定的な違いがあるわけではありませんが、傾向は見られます。
共通点
- 戒名は仏の弟子としての名前
- 密教的な意味(悟り・成仏・仏縁)が込められる
- 大日如来の世界観が背景にある
傾向の違い
- 古義派:密教儀礼と修行体系を重視した厳格な意味づけ
- 新義派:故人の人柄や生前の生き方を反映した戒名
特に智山派・豊山派では、
「この戒名にはどのような願いが込められているのか」を、遺族に丁寧に説明する寺院も多く見られます。
真言宗の多様性は、教えの豊かさの表れです
古義派と新義派という区分は、
真言宗が長い歴史の中で、多様な形で人々の人生に寄り添ってきた証 と言えるでしょう。
どちらが正しい、どちらが優れているというものではなく、
- 修行を重んじる伝統
- 民衆に寄り添う実践
その両方が、真言密教の大切な側面なのです。

覚鑁(かくばん)については改めて記事を書きたいと考えています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
高野山真言宗 公式サイト
真言宗智山派 公式サイト
真言宗豊山派 公式サイト
「覚鑁」2025年9月26日 (金) 11:41 『ウィキペディア日本語版』
空海『即身成仏義』
空海「十住心論」
覚鑁「五輪九字明秘密釈」
宮坂宥勝「密教とは何か」 中公新書
末木文美士「日本仏教史」 新潮選書
瓜生中「仏教と葬儀・戒名の事典」学研
