御由緒
御祭神
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>
御祭神の神話
経津主命
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。
はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。
引用元:香取神社公式ホームページ
経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
伊弉諾尊の剣の先から飛び散った血が湯津石村(ユツイワムラ、『書記』の五百箇磐石)に走り就くと磐裂・根裂神が出てきて、その子の磐筒男・磐筒女が経津主神を生んだ
引用元:「経津主神」2024年3月31日 (日) 11:30『ウィキペディア日本語版』
香取神宮境内
香取神宮(かとりじんぐう)
千葉県香取市香取にある神社。式内社(名神大社)、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社[1]。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。
引用元:「香取神宮」2024年2月5日 (月) 16:08『ウィキペディア日本語版』
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拝殿には多くの参拝者が並んでおり、修正すると見苦しい写真となってしまったため、香取神社公式HPの写真をお借りしました。
拝殿、御本殿ともに色彩が鮮やかな装飾の拝殿です。
江戸幕府により、1607年(慶長12年)に大造営が行われ、1700年(元禄13年)に5代将軍の徳川綱吉の命により再造営されました。
この時に本殿・拝殿・楼門が整えられましたが、うち拝殿は1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)の大修築に伴った改築も再度造営が行われ、この時に造営された、本殿、主要社殿が現在に残っています。
御本殿も、拝殿と同じ1700年の造営です。
三間社流造、檜皮葺で、南面している。この形式の社殿としては最大級の規模だそうです。
前面の庇(ひさし)部分を室内に取り込んでおり、背面にも短い庇を有しています。
壁や柱は黒漆塗で、黒を基調とした特徴的な外観である。屋根は現在檜皮葺であるが、かつては柿葺であったとされています。
拝殿、御本殿の軸部(柱や梁)には黒漆塗。組物・蟇股には極彩色が施されています。
摂社 奥宮
旧参道を進み、奥宮に向かいます。
経津主神の荒御魂を祀る奥宮は、御本殿の鮮やかな装飾はなく、伊勢神宮の古材を使用されていることもあり、質素で落ち着いた社に鎮座されています。
また、御本殿と違い、参拝者もまばらで閑散としていることや、要石が近くにあるせいか、御本殿より神々しいパワーが溢れている気がしました。
社殿は1973年(昭和48年)の伊勢神宮遷宮の際、生じた古材を使用し設営されたそうです。
要石
要石(かなめいし)は、境内西方に位置する霊石です。
香取神宮の要石は大ナマズの「尾」を押さえているそうです。
形状は凸型です。幅は鹿島神宮よりひと回り小さく感じました。
要石への信仰は、1855年10月に江戸を襲った安政大地震の際に広く知られるようになったそうです。
神無月の10月に起こった地震は、ご祭神が出雲大社へ出かけていて不在のため、大鯰が暴れ発生したという話が巷に流れ、以後、江戸から多くの参拝者が訪れ、大鯰が再び暴れないよう祈願したとのことです。
星鎮祭
香取神宮の星鎮祭(ほしづめさい)は、新春慣例の神事であり、香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が国を平定した際、最後まで抵抗した「星の神」を名乗る甕星香々背男(みかぼしかがせお)の神を武力で討伐したという言い伝えから由来しています。
この祭事では、弓道場に大きな的を設け、古式ゆかしく矢を放ち、星塚に竹串をさして星の神を鎮めます。
祭祀の進行は厳かで、射手たちが的を射抜くことで邪気を祓い、甕星香々背男の神の霊を鎮めるとされています。
香取神宮は、星の運行を操る星神である甕星香々背男(みかぼしかがせお)に関連する祭事を行う場所として知られており、その歴史や神話的な背景が祭典に色濃く反映されています。
引用元:香取神宮公式ホームページ 1月の祭典より
天孫降臨にあたり、最後まで星の神「天香々背男」は服従せず、
ついに滅ぼされた故事に基づき、
星神を鎮めた星塚に的を懸け、矢を射る『大的の神事』を行なう。
引用元:香取神宮公式ホームページ 1月の祭典より
経津主大神と天香香背男の戦いはこちらをご覧ください。
ヤマトの神々との戦い 唯一無二の最強神 甕星香々背男と武葉槌命を祀る大甕神社
最強の経津主大神を祀る、香取神宮はいかがだったでしょうか。昨今地震が多く発生していることから、鹿島、香取の要石に再度強く大鯰を動かないように祈願して来ました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。