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インドのカースト制度で奴隷扱いの市民を救済する。差別と戦う日本の仏僧 佐々井秀嶺 1億5千万人の信者の頂点 

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仏教の説法 英雄伝

インドは仏教発祥の地ですが、今では約80%の人がヒンドゥー教徒であり、仏教徒はわずか1%弱と言われています。

しかし、ヒンドゥー教カースト最下層である『不可触民』と呼ばれる人たちを中心に仏教徒に改宗する人が増加しています。
その仏教徒に改宗を勧めている仏僧、佐々井秀嶺(ささいしゅうれい・87歳)さんを紹介します。
インドでは全国紙に掲載される超有名な佐々井氏ですが、日本ではほとんど知られていません。
半世紀の間、ずっとインド孤軍奮闘してきた上人様です。
なぜ、遠いインドで仏教を広めているのでしょうか、佐々井秀嶺さんの壮絶な生い立ちからご紹介します。

佐々井秀嶺氏 引用元:南天会ホームページ
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生き仏、岡山県に誕生

佐々井 秀嶺(ささい しゅうれい、本名:佐々井 実 1935年8月30日 – )
1935年 岡山県生まれ。25歳の時、高尾山薬王院にて得度。
1965年、交換留学生としてタイに渡り、その後インドに入る。1967年、龍樹菩薩の霊告によりナグプールに赴く。ナグプールは1956年、B・R・アンベードカル博士が数十万人の不可触民と共に、仏教改宗した場所であった。以来、現地の仏教徒寝食を共にし、アンベードカル博士仏教復興運動を継承。1988年、百万人の市民の署名によりインド国籍を取得。

女と酒にまみれた青春時代

終戦後の子どもたち。佐々井さんとは関係ありません。

佐々井氏の祖父は、数百年続く大豪農で、幼い頃は戦時中でしたが、戦後も酒好きの両親は自分でどぶろくを作り飲んでいたそうです、そのため佐々井氏は、子供の頃から酒の味を覚えたそうです。

さらに祖父父親には、奥さん以外の女性がいたそうで、佐々井氏は、大酒飲み色情因縁無類の女好きの血を受け継いだことにとても苦しんだそうです。

青年時代は、思い詰めて酒を飲んで暴れ、金に困った時は血を売り。
彼女ができれば、勉強仕事も手につかず、愛欲に執着してしまい、女性を幸せに出来ない自分に絶望し、放浪の末青函連絡船から身を投げようとした所を船員にとめられる、1回目の自殺未遂をします。

また、悪い仲間にそそのかされ、悪さを働き、少年院に入れられてしまうことも経験されたそうです。

少年院を出た後、何をやってもうまくいかず、東京で丁稚奉公(でっちぼうこう)をしたり、故郷に戻ったりを繰り返します。心に平穏を得るためにあらゆる宗教書を読み漁るのですが、それも効果がありませんでした。

丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。

24歳の時、人生に疲れ、途方に暮れ「仏にすがろう」出家し僧侶になろうと寺を訪ねます。
しかし、学歴がないことを理由に寺でも門前払いされてしまいます。

佐々井氏失望し、神も仏もわからなくなり、大菩薩峠に行き、頭に石を打ち付け、2回目の自殺を図ります。

頭を石で打ち続けていると、仏様が現れ「あなたはすでに死んだのです。過去は忘れ、新しく生きていきなさい」と言われたそうです。佐々井氏自殺を思い止めますが、すでに頭から血が溢れ、瀕死の状態でした。

佐々井氏は必死に山を降ります。
途中、登山者などに助けてもらいながら、なんとか大善寺までたどり着きます。
下図、Googlomapで検索すると、徒歩だと約5時間8分もかかるようです。

この大善寺井上秀祐住職に助けられ、佐々井氏は回復し、そのまま寺男となりました。
ついに師と仰げる住職に出会える事ができ、そのまま大善寺で修行を行いました。
その後、勢力的に修行に取り組む姿から、井上秀祐住職の信頼を得て、高尾山薬王院を紹介されます。

高尾山薬王院で修行

高尾山
高尾山薬王院 引用元:写真AC

佐々井氏は、高尾山薬王院 山本秀順貫主のもとで得度し、法名秀嶺を授かります。

佐々井氏の修行は激しく熱いものでした。深夜、山に登って大声で念仏を唱えていると、老僧たちから「うるさくて眠れない」と苦情が来ることもありました。

真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)は、日本における仏教の宗派の一つ。弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年 – 1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。天正5年(1577年)に根来山の能化職となった玄宥(1529年 – 1605年)が、天正13年(1585年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。
引用元:「真言宗智山派」( 2023年12月22日 (金) 08:44 UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

高尾山薬王院(たかおさんやくおういん)は、東京都八王子市の高尾山にある寺院。真言宗智山派の関東三大本山のひとつである。 正式な寺名は高尾山薬王院有喜寺だが、一般には単に「高尾山」あるいは「高尾山薬王院」と呼ばれる。
引用元:「高尾山薬王院」( 2024年1月26日 (金) 01:54  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

山本秀順 (やまもとしゅうじゅん)1911-1996
埼玉県の真言宗寺院出身。智山専門学校(大正大学)卒。1953年(昭和28年)高尾山薬王院貫首。1996年(平成8年)2月4日死去。
引用元:神殿大観 薬王院 31代 山本秀順 https://shinden.boo.jp/wiki/%E8%96%AC%E7%8E%8B%E9%99%A2

関東三大本山
成田山新勝寺(成田山・千葉県成田市)
金剛山平間寺(川崎大師・神奈川県川崎市川崎区大師町)
高尾山薬王院(高尾山・東京都八王子市高尾町)

また、この間に全国各地を行脚し、真言宗だけでなく、禅宗日蓮宗の寺でも修行します。

山本貫主佐々井氏の修行に取り組む姿をみて、大正大学の聴講生として推薦し、佐々井氏もアルバイトをしながら仏教各宗の教えを学んでいきます。

大正大学
1919年(大正8年)、高楠順次郎、姉崎正治、前田慧雲、村上専精、澤柳政太郎が仏教連合大学構想を提唱したことに始まる。これに浄土宗天台宗真言宗豊山派の各宗が賛同し、宗教大学、天台宗大学、豊山大学が合併して1926年(大正15年)に発足した。後の1944年(昭和19年)に真言宗智山派の智山専門学校も合併された。2018年(平成30年)には時宗が大学運営に参画し、浄土宗、天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、時宗の四宗五派の連合大学となった。天台宗と最澄教学を専門的に研究できる唯一の大学である。
引用元:「大正大学」( 2023年12月18日 (月) 05:26  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

しかし、大学女学生と恋に落ちてしまいます、佐々井氏は再度、学問恋愛に悩み、乗鞍岳で三度目の自殺を試みますが未遂となります。(詳しいことはわかりません)

佐々井氏の三回の自殺は、いずれも未遂に終わります。仏様の加護を受け、生きながら悩みを抱え、苦労して生きる道を与えられていることを悟ったのではないでしょうか。

山本貫主は誰よりも熱心に修行する佐々井氏を見込んで、寺が費用を負担する形で仏教国タイへの留学を勧めます。しかし佐々井氏は拒否します。

「今の坊主は、自分の宗派のことしか知らない。でも、昔の坊さんはそうじゃなかった。八宗見学といって、日本の代表的な仏教の八宗を訪ねて、討論して、荒らしまわるような坊主がおったんだ。私も10年間勉強したら、各宗の道場荒らしをやろうと思っていたから、ほかの立派な先輩方をタイにやってくれと頼んだよ」

引用元:東洋経済ONLINEより

八宗(はっしゅう)
日本の代表的な仏教の八つの宗旨のこと。日本八宗ともいう。
天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗をさす。
引用元:「八宗」( 2023年12月27日 (水) 05:51  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

当時、滅多になかった海外留学の話を、いずれ道場荒らしをしたいからと断る僧侶は他の僧侶にはいませんでした。

山本貫主は、この仏道に没頭する姿勢を高く評価しており、「ほかの坊主は職業坊主だ。お前しかいない」と強く説得しました。佐々井氏は「これ以上、師匠の勧めに背くわけにはいかない」と渋々タイ行きを決めます。

1965年、高尾山留学僧としてタイに留学し、ワット・パクナーム寺パクナーム禅を修得します。

ワット・パクナーム寺 引用元:タイ国政府観光庁

パクナーム禅
佐々井氏はワット・パクナーム寺に伝わるパクナーム禅をマスターし、タイでならどこでもパクナーム禅を教えることのできる資格をタイ最高位の僧から認可された。何年いても資格が取得できない僧が大勢いる中で、外国人留学生としては特別のことだと称賛された。

しかし、佐々井氏はタイでも女性問題に悩みを抱えてしまいます。
「一度、日本に帰ってこい」という山本貫主の言葉も無視して、逃げるように佐々井氏はタイを出国しインドへ旅立ちました。

「信仰の厚いタイでは坊さんは大事にされる。それが私にはよくなかった。暑いタイではコーラがうまい。いくらでも寄進をしてくれるから1日20本も飲み続けてコーラ中毒になった。おまけに抑えていた女性への感情がむくむくと湧き上がり、気がつけば、タイの尼さんで一番の美人と恋に落ちてな。さらには中国娘も加わり三角関係だ。日本のお師匠様の耳にも入り、もう恥ずかしくて帰国できない。それで、お釈迦様が生まれたインドにしばらく行ってほとぼりをさまそうと。女からも日本からも逃げたんだ」

引用元:東洋経済ONLINEより

御仏が導くインドへ

こうして、御仏が導く運命のインドにたどり着きます。

翔びくらげ
翔びくらげ

西遊記で、孫悟空お釈迦さまから簡単に逃れることを証明するために筋斗雲に飛び乗り全速力で千里を渡り、世界の端まで飛び去った物語を思い出しました。

 中国の花果山で石から生まれた孫悟空は、仙人に筋斗雲をはじめ72の術を習い、如意棒を手に入れ、天界にまで出かけて大暴れする。見かねたお釈迦様が、悟空に言った。
「私の手のひらから出られれば、天界の主にしてやろう。できなければ修行をやり直しなさい」。
 喜んだ悟空が筋斗雲で飛んでいくと、行く手に5本の柱が見えた。悟空は「ここが世界の果てに違いない」と考えて、柱に、勝手に名乗っていた「斉天大聖」と書き、ついでにオシッコも引っかけて帰ってきた。
 ところがお釈迦様は「お前は、私の手のひらから出ていない」と言って、自分の指を見せる。そこには、「斉天大聖」の文字とオシッコの跡が! お釈迦様は、自分の指を五連山に変えて悟空を押さえつけ、悟空は三蔵法師が来るまでの500年、動くこともできなかった……。

引用元:空想科学研究所より
翔びくらげ
翔びくらげ

佐々井氏の今までの苦しみや悩みは、すべてお釈迦様の仕組まれた修行で、手のひらの中の出来事だったように思ったのは私だけでしょうか。

インドに着いた佐々井氏は、ラージギル日本山妙法寺 八木天摂上人のもと多宝山仏塔建設を手伝います。
ある満月の夜、枕元に龍樹菩薩が現れ、佐々井氏に「南天龍宮城に行くように」と告げ、姿を消したそうです。

八木天摂上人に相談し、龍樹菩薩の暗示を推測し「ナグプール」を示すものではないかということになったそうです。佐々井は、「ナグプール」10万人カーストのない仏教に改宗させた地。アウトカーストである不可触民解放に力を注ぎ、新憲法を制定したインドの偉人がいた街であることを知り、不思議な運命を感じ取ったそうです。

不可触民とは
ヒンドゥー教とインドの身分制度であるカースト制度は深く結びついており、大別して僧侶王族戦士商人奴隷と4つの階層に分かれている。その奴隷のカーストにさえ入れないアウトカーストが不可触民である。ヒンズー教徒では、生まれたときから階層が決まっており、その中で生まれた時から不浄とされている人々を言います。通常「ダリット」と呼ばれ、歯向かえば殺され、残飯しか与えられない人々を言います。
引用元:「不可触民」( 2023年8月1日 (火) 17:21  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

お告げの街 ナグプール

インド ナグプール
ナグプール

インド憲法ではカースト制度による差別も、『不可触民』という言葉の使用も禁止していました。しかし、実際はカーストによる差別は根絶できていませんでした。

それをなくすべく、1956年、初代インド法務大臣だったアンベードカル(1891-1956)は、インド中央部ナグプールで不可触民50万人と共にヒンドゥー教から仏教に改宗しました。

仏教『自由、平等、博愛の宗教』として信仰すると説いていたアンベードカルでしたが、改宗から2ヶ月後に、以前から患っていた糖尿病が悪化し他界します。

アンベードカルの死により、急速に高まっていた、インド仏教はたちまち停滞してしまいます。 

ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(マラーティー語: भीमराव रामजी आंबेडकर、Bhimrao Ramji Ambedkar、1891年4月14日 – 1956年12月6日)は、インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家。インド憲法の草案作成者。反カースト(不可触民改革)運動の指導者。

カースト制度の最下層(ダリット)の家庭に生まれ、同国で長く続く身分差別の因習を打破するための活動に尽力したほか、死の2か月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗し、仏教復興運動を始めたことで知られている。ナーグプルの集団改宗の場所はディークシャーブーミと呼ばれ、多くの巡礼者が訪れており、「バーバーサーヒブ・アンベードカル」(Babasaheb、baba は父、saheb は敬称で、「師父」といった意味)の敬称でも呼ばれる。
引用元:「ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル」( 2023年3月12日 (日) 16:58  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

1968年ナグプールで布教活動を開始した佐々井氏は、アンベードカルの活動を知り、深く感銘を受けるのでした。

当時のナグプールは、しいバラックの建物が並び、治安最悪でした。

そんな中で、佐々井氏お題目を唱え街を歩きました。
初めは異国外国人が突然現れて、驚いた住民石を投げられたそうです。

長い間、ヒンドゥー教の「お前たちは人間ではない」という洗脳は、そう簡単に解くことはできず、
仏教は「あなた達も同じ人間である」「みんな平等なんだ」と唱え続けたそうです。

佐々井氏布教活動は、次第に聞いてもらえるようになり、街が少しずつ変わっていきました。

学校養老院孤児院、それに迫害されたときに皆で団結できるような組織を作り、住民に希望ができ見違えて良くなっていきました。街がきれいになり、治安も良くなって行きました。

その結果、犯罪が多発するスラム街だった街が、半世紀を経て3階建ての立派な住宅が建ち並ぶ治安のいい街に生まれ変わったそうです。

インドでの断食

「アンベードカル博士改宗記念日」の式典の後、佐々井氏はそれにならって8日間の断食行を行うことを宣言します。そのときうっかり“断食”と“断水”を行うと口に出してしまうのです。

通常、インド人の断食も水分は充分に補給します。周囲の人達からは止められますが、佐々井氏は、かまわず仏教徒の空き地で断食をはじめます。

佐々井氏の断食は、新聞にも大きく写真が載り、見物人が続々と詰めかける中で行われました。
途中、ドクターから止めないと死ぬと言われますが断わります。

ドクターは朝昼晩、夜中にも脈をとり、瞳孔検査をし、聴診器をあてて、どうしてこの男は生きていられるのだろうと首を傾げますが、佐々井氏は、断食をやり遂げます。

しかし、その後、声が出なくなるなど、身体酷使した反動が襲い、回復過程の方が、さらに苦しかったと述懐しています。

不法滞在で逮捕

佐々井氏インドに渡り20年、長らくビザ更新せずにインドに滞在していたため、不法滞在で逮捕されます。

日本に強制送還され、二度とインドに戻れないという危機に直面します。

そこで立ち上がったのが、ナグプール市の民衆でした。「全市民佐々井秀嶺擁護委員会」が結成され、佐々井氏へのインド国籍授与を訴える署名を1カ月で60万人分も集め、デリーの首相官邸に提出しました。

その結果、当時のラジヴ・ガンディー首相佐々井氏「アーリア・ナーガールジュナ(聖龍樹)」というインド名を与え、国籍を付与したのでした。

ブッダガヤの大菩提寺

ヒンズー教徒の支配下にあるブッダガヤ大菩提寺仏教徒の手に取り戻すために、信徒を組織して5000キロメートルを練り歩く抗議の行進を実施。佐々井氏が始めた大菩薩寺の奪還闘争は、今もインド最高裁判所で係争中です。

大菩提寺写真
ブッダガヤの大菩提寺

ブッダガヤの大菩提寺(ブッダガヤのだいぼだいじ)
またはマハーボーディ寺院(ヒンディー語: महाबोधी मंदिर Mahābōdhi Vihāra、英語: Mahabodhi Temple)はインド、ブッダガヤにある寺院。釈迦牟尼の生涯、特に悟りの達成に関連する四大聖地の1つである。古い煉瓦構造建築様式の1つである。9層からなり、52メートルの高さをもつ。
ユネスコにより世界遺産に登録されている。

釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。 紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。

境内には悟りの菩提樹の直系の子孫であるゴータマ・ブッダの菩提樹と9層の煉瓦造の主塔のほか、菩提樹の下にある砂岩の金剛宝座(ヴァジラーサナ(英語版))、仏塔、アジャパラ・ニグローダ樹の跡地、ラージャタナ樹とハスの池がある。

長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名(ヒンドゥー教)による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、ブッダガヤ大菩提寺管理委員会の仏教徒のみによる管理を訴え、インド最高裁判所で係争中である。
引用元:「ブッダガヤの大菩提寺」(2023年5月4日 (木) 07:37  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

佐々井氏暗殺計画

激増する仏教徒に恐れをなすヒンドゥー教の過激派や、佐々井氏の人気を妬む一部の仏教僧が、佐々井氏暗殺を企んでいるそうです。

なぜ、殺されそうになっても怯まないのですか?と尋ねると、それまでにこやかだった佐々井氏は語気を強めて下記のように語ったそうです。

「それはやっぱり使命があるから。殺されるのは怖いことだが、使命があれば立ち向かえる。今でも人民党(現在の政権与党・右派)はアンベードガルの功績を蹴落とそうとしているが、黙っちゃいられない。右の頬を殴られたら左の頬を出すというものじゃないんだ。もともと不可触民といわれていた人たちは、アンベードガルが戦って、戦って、少しずつ地位を回復してきた。仏教には不殺生戒があるけども、戦わなければ、仏教徒社会がなくなって、もとの不可触民に戻されてしまう恐れがある。仏教徒が戦わなければ、人々は平等にならない。だから平等になるまで戦うんだ」

引用元:東洋経済ONLINEより

佐々井氏にとっての「使命」とは、必ず果たすべきもの。そのために、身を賭す覚悟で何十年間も戦いに挑んでいるそうです。

意識不明の重体

2014年佐々井氏は体調を崩し一時意識不明の重体となります。
日本にも佐々井秀嶺氏危篤!の報道がされ緊張が走りました。

「休んでいる暇はないのだが、3年前に1度、意識不明の重体となってな。病院のまわりは何千人もの市民が取り囲んで警察が出る騒ぎだ。ところが、ナグプールの病院にいるはずが、私はなぜか意識の中ではヒマラヤの病院にいたんだ。担当の看護師は顔を見せてくれないが、後ろ姿から美人とわかる。それでこんなことを言うんだ。
『あなたは、今まで頑張ったから極楽に行けます』
『俺は死ぬのか? まだやらねばならないことが3つもあるんだ!』
『生き返ると何倍も苦しいことが起きるから、もう死んだほうが楽でしょう』
『ダメだ、シャバに戻せ!』
すると、スーッと私の身体の中に入ってきた。看護師の格好をしていたが、観音様だったんだな。大変なのは取り囲んでいた市民だ。私の呼吸が止まった時、“ササイが死んだー!”と大泣きしていたら、“生き返ったー!”“えー!?”と。わっはっは! それから州知事の命で救急ヘリが迎えにきて、ボンベイに移送されたんだが……」

引用元:週刊女性PRIME

佐々井氏の、やらなければならない3つのこととは?

佐々井秀嶺氏の3つのやりたいこと
・アンベードカル博士の平等の精神をもっと世に伝えねばならない。
・2つ目は悲願であるヒンドゥーからのブッダガヤーの大菩提寺奪還。
・龍樹が告げた「南天鉄塔」遺跡の発掘を進めたい。

3つ目の「南天鉄塔」についてまとめてみました。

南天鉄塔の遺跡

1990年代、シルプールを訪れた佐々井氏は、この遺跡の仏教的な重要性を認識し、仏教徒から資金を集め主要な土地を購入して、インド考古学局のA・K・シャルマ氏に依頼して発掘を行いました。

2003年には、2メートルの仏陀坐像を安置する寺院跡を発見。発見者の佐々井氏の名を冠して「ササイ・マハービハーラ」(現在は、ティーヴァラデーヴァ・ビハーラに改称されている。)と名付けられます。

一帯から僧坊跡、巨大な市場の跡、複数の寺院など次々と遺跡が見つかり、ナーランダ仏教大学の規模をしのぐ一大仏教都市が確認されました。

南天鉄塔遺跡 引用元:南天会ホームページ

南天鉄塔(なんてんてっとう)
かつて南インド(南天竺、南天)にあったといわれる鉄製の仏塔である。
伝説によれば、大日如来の所説の法門をその上首たる金剛薩埵が結集して、機を見て授けんとしてこの塔に蔵(おさ)め置いたところ、龍猛菩薩がついにこれを開いてその経典(『金剛頂経』あるいは『大日経』)を伝授したといわれている。
引用元:「南天鉄塔」(2019年9月28日 (土) 12:55  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

「だから、夢ではないと言っただろう。ナグプールから約40キロ離れたマンセルという地区に龍樹連峰と呼ばれる山々があることがわかり、その土地の一部を買い許可を取って10年かけて発掘した。そしたら首のない仏像や寺、そして鉄塔らしき遺跡も発見したんだ。しかし、まだ塔の内側は発掘できていない。黄金の像がでるか、経典がでるかまだわからん。発掘許可を得ようと、日本からも偉い考古学者さんらが来てくれて、一緒に政府の考古学調査研究所に交渉したんだが、上位カーストのバラモンのやつらがね、仏教の遺跡であると証明されたくないわけだ。
私の死んだ後になるかもしれないが、いつか掘れる日が来るだろう」

引用元:週刊女性PRIME

遺跡の発掘に妨害されたりするそうですが、佐々井氏が健在のうちに発見され立証されることを願います。

1億5千万人の信者の頂点に立つ

ヒンドゥー教徒の国・インドでアウトカーストである不可触民を中心に、爆発的に仏教徒が増えています。半世紀前にわずか数十万人だった信者は今や1億5000万人となるそうです。

その仏教復興の原動力となったのは、インド仏教の頂点に立つ一人の日本人僧、佐々井秀嶺上人です。
今回、一緒に佐々井上人の素晴らしい活動を見てきましたが、皆さんはどのように感じたでしょうか。

2023年5月下旬より佐々井上人は、日本へ帰られています。佐々井上人のお話を直接お聞きしたいと考えていましたが、交流会などの行事が私の仕事の関係で都合が合わず、まだお話する機会がありませんでした。インドに戻られるまでに是非一度、直接お会いし、お話を聞きたいと思っていますが、行事が行われるか情報収集中です。

翔びくらげ
翔びくらげ

佐々井上人は日本へ帰国後にTVニュースやユーチューブなどに出演されていますが、以前の迫力あるお声やお姿がなく、細く小さな声、お体もかなり痩せ衰えて見えます。佐々井上人が無理をなさらずご自愛されますことをお祈りしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南天会ホームページ
小谷汪之著『不可触民とカースト制度の歴史』明石書店
佐々井秀嶺著『必生ひつせい 闘う仏教』集英社新書
山際素男『破天インド仏教徒の頂点に立つ日本人』光文社新書
週間女性 2017年9月12日号
東洋経済ONLINE
文春オンライン
たいしゅんのページ

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