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鸕鶿草葺不合尊 神武天皇の両親 御陵が鹿児島の姶良山に存在した!!

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歴史

鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は、日本神話の神様。皇室のご先祖様と言われています。
日本国を建国したと言われる初代天皇陛下「神武天皇」の御父君です。
諸説ありますが、神武天皇の御子「綏靖天皇(すいぜいてんのう」以降は実在する天皇として扱われ、神武天皇を始めとする祖先は日本神話の伝説上の人物とされています。
しかし、神武天皇は「畝傍山東北陵」にお墓が実在し、鸕鶿草葺不合尊は「吾平山上陵」(あいらさんさんじょうりょう)というお墓が実在しています。

今回は、御陵がある、鹿児島県鹿屋市の「吾平山上陵」に行ってきました。

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神話の世界

鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)は、日本神話に登場する神で、地神五代の5代目、日向三代の3代目であり、神武天皇の御父君です。彦火火出見尊(火折尊、山幸彦)の子で、御母君は豊玉姫です。玉依姫との間に彦五瀬命稲飯命三毛入野命彦火火出見尊(神武天皇)を得ました。父と末子は同名の彦火火出見尊であることが特徴的です。

昔の日本では、親子が同じ名前を持つことは珍しくありませんでした。これは、特に地位のある家族や伝統的な家族でよく見られ、長男や長女が親の名前を継ぐことが一般的でした。また、親から代々受け継がれる名前のことを「通字」や「系字」と呼びます。

また、鵜葺草葺不合尊が誕生した産屋は全て鵜(う)の羽を草(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)に捨てられたことからこの名前がつけられたそうです。

なお、鵜戸神宮(宮崎県日南市)は鵜葺草葺不合尊生誕時の産屋の跡と伝えられています。また、初代・神武天皇の父であり、農業と漁業の守護神でもあります。

一部の古文書では、「ウガヤフキアエズ」は一人の神様を意味するものではなく、50~70代続いた王朝を表す人の名前とかかれています。この古文書の正当性には疑問が残ってはいますが、ウガヤフキアエズ王朝についても興味深い伝説が存在します。

ウガヤフキアエズ王朝は、『ウエツフミ』、「竹内文書」、『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されており、神武天皇以前の古代王朝で、火火出見命の子、鵜葺草葺不合命が開いた王朝とされています。
しかし、これらの文書の中で天皇の数や王朝の継続期間が一致していません。また、これらの文書は史料価値が認められていないこともあり、ウガヤフキアエズ王朝とは近代以降に偽作された架空の王朝だとするのが通説であるとされています。
引用元:「ウガヤフキアエズ王朝」(2023年5月29日 (月) 09:17  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

翔びくらげ
翔びくらげ

既に書いた「幣立神社」の五色人種。青森県のキリストの墓など、科学的根拠、検証で立証はされていませんが、これら古文書に記載されている内容に沿った遺跡が世界中から発掘されていることも確認されおり。全てではありませんが、古文書の内容の事象が、実際にあったのではないかと思っています。

総合政策部 企画政策課 宮崎市の観光・文化情報サイトより

吾平山上陵

鵜葺草葺不合尊のお墓は、日本列島の最南端の佐多岬がある大隅半島のほぼ中心部の山深いところにあります。
宮内庁が管理しているためか、「吾平山上陵の駐車場」までの道は整備され車で安心して行けます。

吾平山上陵(あひらのやまの えのみささぎ / あいらのやまの えのみささぎ / あいらさんりょう/あいらさんじょうりょう)は、日本書紀に現れるニニギ(天津日高彦火瓊瓊杵尊)の陵で、神代三山陵の一つとされています。この陵は鹿児島県鹿屋市吾平町上名に位置しています。

全国でも珍しい岩屋の陵で、神武天皇御父君御母君の御陵とされています。
また、伊勢神宮に似ていることから「小伊勢」とも呼ばれ、正月には多くの初詣客で賑わいます。
春は桜の名所としても知られており、秋には紅葉も見られます。

駐車場 翔びくらげ撮影

吾平山上陵公園 駐車場

案内板 翔びくらげ撮影

吾平山上陵公園 の案内板

案内施設 翔びくらげ撮影

吾平山上陵公園に設置されている案内施設。資料を頂け、見学ポイントなどを教えていただけるので、陵墓を見学される前に立ち寄ることをお勧めします

参道の両脇は緑が映える木々の中、整備された砂利道を約500m歩いて行きます。

隣に川が流れており、鳥の鳴き声と川のせせらぎが心地よく聞こえます。

清水が流れており小魚がたくさん泳いでいます。
所々川に降りるところがあり、伊勢神宮にもありましたが、参拝する前に禊をする禊場ではないでしょうか。
途中にトイレかと思いましたが、宮内庁の職員の立ち寄り所でした。

木々に覆われた深い森の中、整然と整備された空間の奥に陵墓があります。
陵墓の前に大きな石が置かれています、今は木が生えていますが、昔はここで何か儀式が行われたのでしょうか。

陵墓 翔びくらげ撮影

参道の突き当りに鳥居があり、鳥居の奥が「鵜葺草葺不合尊」、「玉依姫命」の陵墓です。

陵墓 翔びくらげ撮影

鳥居の奥にまた門のようなものが見えました。陵域は9.35ヘクタール、窟内は3アールほどで、御陵のある山を鵜戸山(うどさん)、窟を鵜戸窟(うどいわや)と称しています。
合掌

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

【参考文献】

吾平山上陵公園案内施設より頂いた資料
「ウガヤフキアエズ王朝」(2023年5月29日 (月) 09:17  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
竹内文書 八幡書店
総合政策部 企画政策課 宮崎市の観光・文化情報

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