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日本三奇「御釜神社の四口の神釜」——宮城・塩竈に伝わる神秘の遺産 宮城が洪水に見舞われた時、神釜は水色に変色していた。

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四口神釜 パワースポット
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はじめに

御釜神社 正面鳥居 撮影:翔びくらげ


宮城県塩竈市に鎮座する御釜神社には、古くから「四口の神釜(よぐちのかま)」と呼ばれる大きな釜が伝わっています。
釜に満たされた水が長年にわたり濁らず、腐らないとされるこの不思議は、人々の畏敬を集め、「日本三奇」の一つに数えられることが多くあります。
御釜神社と四口の神釜の由来、伝承、信仰や観光的魅力について、わかりやすくご紹介いたします。

御釜神社とは

撮影:翔びくらげ
御釜神社本殿 撮影:翔びくらげ


宮城県塩竈市に鎮座する御釜神社は、鹽竈神社の末社として知られています。

境内に祀られているのは、古来より「神の釜」と呼ばれる四口の鉄製の大釜です。これらは「四口の神釜(よんくちのかみがま)」と呼ばれ、日本各地に伝わる奇観のひとつとして語り継がれています。

鹽竈神社と同じ塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)を祀ります。

塩や海にまつわる信仰が根づく塩竈の地は、古来より港町として栄え、製塩や航海の安全を祈る習俗が発達しました。御釜神社はそうした土地の信仰を今に伝える場の一つです。

神社に掲示されている案内板

四口の神釜

この4つの神釜は直径1.4mほどの鉄釜で、いつも海水が入っているそうです。
 ・釜の水があふれない
 ・水がなくならない
 ・変わったことがあると釜の水の色が変わる

 などの言い伝えがあります。

奥州名所図絵に描かれた四口の神釜

奥州名所図絵
仙台領内における名所旧跡などをまとめたもので、作者は仙台大崎八幡宮の神官、大場雄渕(おおばおぶち)である。執筆は文政12年(1829)以前とされる。当時の名所等を墨絵で描き、丁寧な説明を加えて、膨大な量の情報を網羅しており、江戸時代における当地の特性を伝える上で重要な資料。

引用元:宮城県公式Webサイト

四口の神釜(通常は塀に囲われ門は施錠されている) 撮影:翔びくらげ
四口の神釜 引用元:志波彦神社・鹽竈神社ホームページより

神釜は、社務所に申し出て、初穂料100円をお納めすれば、拝観することが可能です。
写真を撮ることはできないため、しっかり脳裏に記憶しましょう。

海水の入れ替え行事 引用元:志波彦神社・鹽竈神社ホームページより

毎年7月5日、水替神事として、神職が神事船に乗り松島湾釜ヶ淵に向かい、満潮時の海水を汲み、神釜の水を入れ替えるそうです。


由来と伝説

四口の神釜にまつわる由来は諸説あります。
一つは、塩土老翁神と関わる製塩用具としての伝承です。
塩づくりに用いた釜が神聖視され、やがて社に奉納されたという流れです。

別の伝承では、釜の水が「霊水」として浄化や祈願の力を持つと信じられ、病気や災いを鎮める力があると語られてきました。いずれの説も、水が生活や生業にとって重要であったことを反映しています。

御釜の伝説
 四口の神釜には屋根がありませんが、ここに湛えられている水は、常に溢れることも涸れることもないとされ、江戸時代には、世に変事のある時、その前触れとして御釜の水の色が変わるといわれていました。また塩竈の地誌「奥鹽地名集」には、釜はかつては七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。それによると一口は、釜ヶ淵(新浜町の東北区水産研究所の先の淵)の海底に沈み、別の一口は、野田の釜田(塩竈陸橋下あたり)の田の中に埋まり、さらにもう一口は、黒川郡志戸田村の塩竈殿(富谷町志戸田の行神社)と称される所の池に沈んでいると記されています。これらの現地には、それぞれ今もなおそうした言い伝えが残されています。
引用元:御釜神社の史跡と伝説より


特筆すべきは、常に水が湧き満ちているにもかかわらず、水があふれることも、干上がることもないとされる点です。この不思議な現象は、古くから「神秘の象徴」として人々に信仰されてきました。
また、この釜の水は占いにも用いられ、政治や漁業、さらには庶民の生活に関する吉凶を占う際に使われてきたと伝えられています。

これらの釜に張られた水は季節や天候に左右されず、長期間澄んだまま保たれるとされ、そのため神事や占いに用いられてきました。一般には釜そのものが常時公開されることは少ないものの、地域の人々の間では広く知られる存在です。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の発生した日の朝、普段は赤茶けた色味の釜の水が、4口のうち2口のみ、透明に変化した様子が目撃されたそうです。

翔びくらげが訪れたのは令和7年10月1日、線状降水帯により仙台から松島にかけて集中豪雨が発生し、仙石線が大雨で線路が水没し運行できなくなり、塩竈市内は洪水に見舞われ、多くの店や住宅が冠水しました。

AIによるイメージ画像

その時の四口の神釜を拝見した所、上記イメージ画像のように、左手前の御釜は薄い透明になっており、当日の大洪水を暗示していたと思います。

なお、神社の方のお話では、手前の2つの御釜は屋根が無く雨が吹き込むとのことでした。
しかし、右手前は奥の2つの御釜と同じように錆色に変色しており、不思議な気がしました。

10月1日 冠水した塩釜市内 撮影:翔びくらげ

神釜と年中行事

御釜神社では、かつて神釜の水を用いて年の吉凶を占う「水占い」や、豊作・豊漁を祈る神事が行われていました。釜の水の澄み具合や波立ち方などを読み取る習わしは、単なる迷信ではなく、自然の兆候を観察する生活の知恵として機能していた面もあります。現代でも地域の伝統行事として継承されている場合があり、訪れる際には行事の有無を確認するとよいでしょう。

藻塩焼神事

海藻を刈り取神事 引用元:志波彦神社・鹽竈神社ホームページより

毎年、7月4日 藻刈神事が行われ、神職が神事船に乗り七ヶ浜町花渕沖に向かい、祓いを修したのちホンダワラと呼ばれる海藻を刈り取ります。

藻塩焼神事 引用元:志波彦神社・鹽竈神社ホームページより

7月6日 藻塩焼神事として、御釜神社境内の竈に鉄製の平釜を乗せ、その上に竹棚を設けホンダワラを広げ海水を注ぎかけ、濃度の高い海水を作ります。

これを火打ち石で熾した忌火で煮詰め、藻塩を焼きあげます。
出来上がった藻塩は直後の御釜神社の例祭に供えられ、7月10日の鹽竈神社例祭にも供えられます。

引用元:志波彦神社・鹽竈神社ホームページより

竈に鉄釜をのせ、竹棚の上にホンダワラを広げ、海水を注ぎかけ、燧石で点火して釜の海水を煮詰め、荒塩を作るそうです。

古式に則ったその製塩法は、宮城県の無形民俗文化財に指定されているそうです。

藻塩焼神事で使用される平釜 撮影:翔びくらげ

藤鞍社と牛石

藤鞭社と牛石について「奥鹽地名集」は、次のような伝説を伝えています。

奥鹽地名集
1792年に鈴木三郎治宜見によって編纂された地名集で、塩竈市の地名、名所旧跡、産業などの由来や言い伝えを記録しています。この地名集は、地域の歴史や文化を理解するための重要な資料とされています。原本は塩竈市の図書館に保存されており、文化財にも指定されています。

昔、和賀佐彦という神様が7歳の子どもの姿となって、塩を載せた牛を曳かれました。
その牛が石になったとされるのが牛石です。

そこの池の中には、今もなお牛の背を思わせる霊石が沈んでおり、一年に一度の水替え神事の際、その姿を見ることができます。

またこの池の水は海と繋がっているとも言われています。また神様が立てかけ置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞍社(藤鞭の祠)といわれています。

藤鞍社 撮影:翔びくらげ
牛の背を思わせる石が沈んでいる池 撮影:翔びくらげ

年に1度池の水を抜く神事があるそうです。その時水位が下がった際に、牛の背のような石が見えるそうです。

まとめ


四口の神釜の不思議は、科学的に完全に説明されているわけではありませんが、そこに込められた意味は単なる奇談を超えています。清浄な水への感謝、自然と人間の共生、地域で受け継がれる信仰と文化──これらを再認識させる存在として、御釜神社の神釜は現代においても価値を持っています。地域の伝承を尊重しつつ、現場で感じる静謐な空気や歴史の重みを大切にしたいものです。


宮城県塩竈市の御釜神社に伝わる「四口の神釜」は、腐らない水を湛えるという不思議から長く人々に信仰され、日本三奇の一つとして語られてきました。塩づくりや航海に結びつく歴史、年中行事に根ざした信仰、そして地域の観光資源としての魅力――これらが重なり合い、御釜神社は人と自然、信仰と暮らしをつなぐ文化遺産となっています。本塩竈へお越しの際は、ぜひ足を延ばして御釜神社の神秘に触れてみてください。

翔びくらげ
翔びくらげ

仕事で塩釜に向かう予定でしたが、大雨の影響で仙石線が止まり、導かれるように参拝した神社です。市内は大洪水が発生していましたが、神社までの道は何故か冠水を免れ、参拝することができました。その時、四口の神釜のうち1つが水の色が変わっていたのは暗示だったのでしょうか。
松尾芭蕉が奥の細道の旅で御釜神社に立ち寄り、この神釜を見られたと言われています。なんとも感慨深いですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

志波彦神社・鹽竈神社ホームページ
文化の港 シオーモ」塩竈市教育委員会文化スポーツ課 ホームページ
「御釜神社」2023年11月21日 (火) 23:43 『ウィキペディア日本語版』

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