岡田雅行 オニ雅の異名は、怪力無双の最強 強力伝

英雄伝

釈迦ヶ岳」(1,799m)の山頂には、釈迦如来像の大ブロンズ像が立っています。

この大ブロンズ像は台座も含めて3.6m。山頂へは分解して運んだとはいえ、台座だけでも135kgはあるそうです。
これをたった一人で持ち上げた岡田雅行さんはどんな人だったのでしょうか。

強力(ごうりき)・ボッカ

多くの荷物を担ぐ人 イメージ

強力(ごうりき)は、登山者の荷物を背負い道案内をする人、山小屋などへ食べ物や飲み物などの物資を担ぎ上げる人のことをいいます。

歩荷(ボッカ)は、荷物を背負って山越えをすること。特に、山小屋などに荷揚げをすることや、それを職業とする人。

釈迦ヶ岳

釈迦ヶ岳 引用元:「釈迦ヶ岳 (奈良県)」2022年11月23日 (水) 09:52 『ウィキペディア日本語版』

釈迦ヶ岳は、奈良県十津川村と下北山村の境にそびえています。

標高1799メートル。

続日本百名山に選ばれた山頂には、一等三角点が設置されています。

ピラミッド型の山頂からは、大峯山系随一の眺望で360度山々が見渡せます。

山頂は世界遺産 修験道「大峯奥駈道」を通るルートになっており、 釈迦ヶ岳のシンボル「釈迦如来」が建立されています。

オニ雅

1886年(明治19年)「オニ雅」の異名で知られていた岡田雅行は、現在の奈良県天川村栃尾に生まれました。

弥山でのオニ雅(前方右側)引用元:大峰山秘録 華の果てを縦走する 前田良一 大阪書籍

オニ雅は、身長188 cm・体重約120 kg という、巨体の最強の強力(ごうりき)になります。

オニ雅は登山家としても優れており、吉野熊野国立公園指定に生涯を捧げた岸田日出男氏を案内したときには、水補給の場所とアテにしていた川が干上がっていたのをものともせず、川床を素手で掘って、水を湧き出させたという逸話も残っています。

岸田日出男
日本の林業技師であり、吉野熊野地域の国立公園指定に奔走する一方、住民への聞き取りなどを元に地域の文化や生活を詳細にまとめ、地域の魅力を発信していました。岸田氏は、吉野熊野国立公園の父と呼ばれ、地域の自然保護や知名度の向上に寄与しました。岸田氏は、吉野熊野国立公園協会常務理事や吉野熊野文化協会専務理事などを務め、勲六等瑞寶章を受章しています。岸田氏が残した資料群は、郷土史の貴重な資料として整理されています。
引用元:「岸田日出男」(2023年11月20日 (月) 16:30  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

1924年(大正13年)、まだヘリコプターがなく、山頂への荷物はすべて人が荷揚げをしている時代。

ある寄進者が、①釈迦ヶ岳の山頂付近に釈迦如来像、そして②釈迦ケ岳南隣の大日岳(1,593m)に大日如来坐像、②釈迦ケ岳北方の岩峰・橡(トチ)の鼻に蔵王権現像計3体の全重量数百kgにも及ぶ、3体の仏像を建立したいと名のしれた強力達に、仏像の荷上げを依頼しますが、難易度が高いため、どの強力さんにも断られてしまいました。

オニ雅のところにも、山頂への仏像建立の依頼が来ます。

オニ雅も最初は断ります。その後、悩んだ末に、この大役を引き受けました。

たった一人山道をつくりながら、仏像を3分割し担ぎ上げたと伝えられています。

吉野郡下北山村の前鬼口から釈迦ヶ岳までの約8kmの山道を何度も往復し、全て運びきったのでした。
この偉業をたたえて、釈迦如来像の台座には「岡田雅行 独力ニテ運搬セシ者也」と刻まれています。

下の三体の仏像が、オニ雅が担ぎ上げた仏像です。

釈迦ヶ岳山頂の釈迦如来像 引用元:「釈迦ヶ岳 (奈良県)」2022年11月23日 (水) 09:52 『ウィキペディア日本語版』
釈迦如来像の前で(一番手前)引用元:大峰山秘録 華の果てを縦走する 前田良一
大日岳の大日如来 引用元:ヤマレコ「大日岳」petit-prince
橡(トチ)の鼻に蔵王権現像 引用元:ヤマレコ
釈迦如来造改修工事 引用元:大峰山のだらにすけホームページ様より

2007年7月、仏像の修復作業が行われた時の写真です。

仏像が如何に大きいかがわかります。たとえ中が空洞であってもブロンズ製の仏像は如何に重かったか、想像を絶します。

オニ雅は、その後も岸田氏の案内人、そして強力として山を登り案内し続けました。

1970年(昭和45年)12月4日、オニ雅こと岡田雅行は病没します。85歳でした。

強力の多くが発症する「脱腸」が要因だったそうです。

晩年のオニ雅は薄幸だった。事あるごとに「釈迦ヶ岳の銅像はこのワシが一人で担ぎ上げた」と声を大にして叫び、酒におぼれたという。が、その死去を境に人々の記憶からもオニ雅は、風をくらったように消え去った。

引用元:大峰山秘録 華の果てを縦走する 前田良一 大阪書籍



強力は100Kg以上の荷物を担ぎ山を登るため、力をひねり出すための力みは歯がすり減り、時には歯が折れる程の物凄い力みだったそうです。

晩年の岡田雅行 引用元:大峰山秘録 
華の果てを縦走する 前田良一 大阪書籍



登山史には名前を残すことはありませんでしたが、オニ雅が担ぎ上げた仏像は、これからも多くの登山者や修行者を見守っていくでしょう。 合掌

翔びくらげ
翔びくらげ

「この大きな仏像は誰が担いで上げたのか?」と誰かが疑問を抱いたとき、「オニ雅こと岡田雅行だよ」と教えてあげてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

「釈迦ヶ岳 (奈良県)」(2022年11月23日 (水) 09:52  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』 
大峰山秘録 華の果てを縦走する 前田良一 大阪書籍
大峰山のだらにすけホームページ
ヤマレコ 釈迦ヶ岳(大峰) 大日岳 (前鬼より往復)2020年10月24日(土) [日帰り]より

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