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蛭児神を祀る神社が天孫降臨の地、霧島に存在した!! 天の岩楠船が流れ着いた楠が神話を立証する!?

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歴史

古事記』において国産みの際、イザナキ(伊耶那岐命)イザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。水蛭子(ひるこ)は不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。

蛭児神社鳥居 翔びくらげ撮影

棄てられた理由について『古事記』ではイザナキ・イザナミ神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった容姿の子であったかは不明です。

後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかといいます。

その蛭児神を祀る神社に参拝してきました。

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国生み神話

イザナキ(男神)とイザナミ(女神)が、国生みの際に、「天浮橋(あまのうきはし:天と地を結ぶ宙へ浮く橋。神はこの橋を渡って地へ降りるとされる。)」に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった。これが淤能碁呂島(オノゴロ島)である。と記されています。

オノゴロ島に降りた2神は「天の御柱(みはしら)」と「八尋殿(やひろどの:広大な殿舎)」を見立て、イザナキは左回りにイザナミは右回りに天の御柱を巡り、出会った所で相手の魅力を褒めあい、この島で成婚します。

しかし最初に女性である伊邪那美のほうから誘ったため、正しい交わりでなかったということで、まともな子供が生まれなかったそうです。

引用元:「ヒルコ」(2024年1月14日 (日) 02:59 UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

二神は、最初に生まれた不具の子である水蛭子(ヒルコ)を葦船(あしぶね)に乗せて流した。次に淡島(アワシマ)が生まれたが、またしても不具の子であったらしく、ヒルコともどもイザナキ、イザナミの子供のうちに数えられていません。

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蛭児神社の案内看板 翔びくらげ撮影

鹿児島県の霧島温泉に旅行した際、たまたまGoogleマップを見ていて蛭児神社を発見しました。

日本神話の天孫降臨神話にゆかりの深い土地、霧島市で蛭児神社を発見し歴史好きな私は心が震えました。

古事記や日本書紀に登場する蛭児ですがほとんど謎に包まれています。

今回、紹介する蛭子神社はWikipediaなどにも記されていません。

なお、蛭子神は、日本古来の唯一の福の神であるヱビスや古くから漁業の神とされ、後に商いの神ともされることがあり、夷、戎、胡、が蛭児神から来ているという説もあります。

                    蛭児神社本殿 翔びくらげ撮影

蛭児神社は、創建が不明で、一説には神代にさかのぼると伝えられています。

現在の社殿自体は昭和5年の改築したものを平成23年に新たに造営したものです。社域は寛延3年(1750年)の遷宮造営とのことです。

古事記と異なり、ここでは日本書紀と同様の、蛭児神は3歳までイザナキイザナミに可愛がって育てられ、3歳になっても足腰が立たないため、天磐楠船に乗せて流したことになっています。

この乗っていた天磐楠船から枝や葉が出て大木になりその実がまた繁殖し、この地域一帯に育ちなげきの杜になったそうです。神社周辺の木々は大きく、案内板の後ろのご神木は素晴らしいものでした。

詳細な場所は?    蛭子神社へのリンク

蛭児神は海から現れる恵比寿様と同一視されるようになりました。そして漁業や商売の神様として進行されています。    

ヒルコ神系を祀る神社
 西宮神社(兵庫県西宮市)
 ヒルコ神系のえびす神社の総本社[1]。
 西宮神社(栃木県足利市)
 桐生西宮神社(群馬県桐生市)
 蛭子(ひるこ)神社(神奈川県鎌倉市)
 西宮神社(長野県長野市)
 西宮神社(長野県佐久市)別名夷社。
 柳原蛭子神社(兵庫県神戸市兵庫区)
 堀川戎神社(大阪府大阪市北区)
 蛭児遷殿(大阪府大阪市北区大阪天満宮境内)
 石津太神社(大阪府堺市西区)
 ヒルコと事代主の両方の神を祀る。
 古曽蛭子神社(和歌山県橋本市)
 胡子神社(広島県広島市中区)
 ヒルコと事代主の両方の神を祀る。
 蛭子(ひるこ)神社(徳島県那賀郡那賀町)
以上のようにWikipediaに記載されていますが、何故か霧島市にある蛭児神社は記載されていません。
霧島市の蛭児神社は恵比寿様の記述がないため、記載されていないのかもしれません。

          

神代の楠

蛭子神社より少し下った所に神代の楠がありました。
古事記・日本書紀の神話にイザナギノミコト(男神)イザナミノミコト(女神)が結婚する話があります。

二人の最初の子供は、三歳になっても足腰が立たない蛭(ひる)のような子どもであったため、両親はその子をヒルコノミコトと名付け、天の岩楠船に乗せて、天上から流し捨てた。

天の岩楠船は、現在の場所に流れ着き、根付いてこのあたりのクスの森(ナゲキノ森)になったと言い伝えられています。

この岩楠船から生まれたという楠の枯れた木株の絵図が江戸時代の三国名勝図会(天保14年 1843)に載っています。ここの枯れた木株は、絵図の木株にあたると思われます。
この木株は「神代の楠」と呼ばれ尊ばれてきました。

                 神代の楠 既に枯れてしまっている 翔びくらげ撮影


楠は既に枯れて、外被だけなんとか保管されている状態でしたが、楠が生きている時は精霊が宿る素晴らしい大木であったと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

「ヒルコ」(2024年1月14日 (日) 02:59 UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
 蛭子神社HP。

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