群馬県高崎市に多胡碑という、不思議な石碑があります。
その石碑にまつわる、羊太夫の伝説を知り、ずっと訪問してみたいと思っていました。
今回、羊太夫の故郷である群馬県高崎市を訪れ多胡碑、そして羊太夫について調べてみました。
多胡碑
現在の群馬県高崎市にて、7世紀から8世紀にかけて建立された古代の石碑、3基について上野三碑(こうずけさんぴ)と総称し、三基の石碑は、多胡碑、山上碑(やまのうえひ)、金井沢碑とそれぞれ言われています。それぞれの石碑は特別史跡に指定されています。
村人から大切にされた多胡碑
多胡碑は昔から、村人に大事に扱われ、立派な覆屋が建てられ、その中に安置されています。
大正、昭和初期、現在の覆屋を比較して見ると隣に立つ石碑の位置が左側から右側になり
灯籠や周囲の木々も変わってしまい、もともとの位置に立っているかは不明です。
多胡碑の内容
多胡碑には?
弁官符上野国片野郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
と、掘られています。
訳してみると
弁官符[おお]す。上野国の片岡郡[こおり]、緑野[みどの]郡、甘良[から]郡并せて三郡[みつのこおり]の内、三百戸を郡となし、羊に給いて多胡郡[たごのこおり]と成せ。
和銅四年三月九日甲寅[きのえとら(こういん)]に宣[の]る。
左中弁・正五位下多治比真人[たじひのまひと]。
太政官・二品穂積親王[にほんほづみのみこ]、左太臣・正二位石上尊[いそのかみのみこと]、右太臣・正二位藤原尊[ふじわらのみこと]。文字が彫られているそうです。
さらにわかりやすくすると、多胡碑前の説明文より
300戸ってどれくらい?
戸は律令制下で社会組織の単位とされた家のことです。
税を納める単位でもあります。基本的に戸主を中心として1戸あたり4人の丁男(成年男子)が戸の成員であると考えられ、一戸は一般的に二~三世帯を構成した大家族(現存の戸籍上から推定される戸の実情は平均20数人の大家族形態を取り、戸主を中心に血縁など親族関係でつながる人々、更に戸主との続柄が不明な寄口(きこう、寄人とも)や隷属民である奴婢がいた。)で生活しており、1里(1郷)は家長の中から50名の戸主を選任したもので、三百戸だと六里、300名の戸主、約6000人の規模の集落と考えられます。
終戦時に多胡碑を隠した場所
高崎市教育委員会は、このほど太平洋戦争直後に地域住民が多胡碑を隠存したと見られる埋設坑を発見したと発表した。
昭和20年8月に終戦を迎え、進駐軍が多胡碑を接収する恐れがあるとし、文部省の指令で多胡碑が地域住民によって、近くに埋めて隠された。
その後、多胡碑は昭和21年10月に再建された。
多胡碑記念館などがこれまでに聞き取り調査を行ってきたが、関係者の記憶に相違があるなど、埋設場所の特定はできなかった。今回発見された埋設坑は、多胡碑の東側の民地内にあり、南北方向293cm、東西方向180cm、深さは地表面から78cm。地域住民が多胡碑を大切に保存してきた歴史を示す貴重な発見。
引用元:2018年2月17日 高崎新聞
第二次大戦後に進駐軍により多くの建物が接収されますが、石碑などの記述は見つかりませんでした。しかし、埋めてまで守りたい何かが「多胡碑」にあると思いました。
羊太夫の各遺跡を見て、伝説を聞き、まとめた結果として「多胡碑」は羊太夫が終焉を迎えた場所ではないかと考えています。
翔びくらげの羊太夫の伝説
羊太夫の伝説は、ネットを始め、地方史誌等に記されているものは、翔びくらげが調査しただけでも数十種類確認できました。各種の羊太夫伝説にほぼ共通するストーリーを下記のようにまとめて見ました。
現代でもプライベートジェットに乗って東京から大坂まで片道70分かかるそうです。自動車で中央高速を渋滞抜きで走行して6時間30分。普通の馬で1日60キロとして7.7日かかります。
この羊太夫が亡くなった場所である池村は、現在、多胡碑の立つ付近と言われています。
羊神社
祭神は天児屋根命、多胡羊太夫(藤原宗勝)。健康・学問・経済の権現とされています。
磯部温泉の玄関口であるJR磯部駅の南東2キロメートルほどの場所に鎮座しています。奈良時代、上野国多胡郡を治めた多胡羊太夫は、和銅(自然銅)の発見など数々の伝説を残す人物であり、その子孫ら一族が江戸時代・延宝年間に当地・字(あざ)久保へと移住し、「多胡新田」を拓いたそうです。
このころ、一族が祖先である羊太夫を祀ったのが神社の始まりです。現代においても当社周辺には多胡姓が60世帯ほど集まっており、1997年(平成9年)に氏子らによって社殿の新築・遷座が執り行われました。
社殿の前の羊の狛犬がとても可愛いです。未年に多くの年男、年女が参拝されるそうです。
羊神社は多胡碑から車で30分くらいかかるところにあります。途中道が狭いのでご注意ください。神社前に車が1~2台駐車できるスペースがあります。Uターンする際はとても狭いので注意が必要です。
羊神社には宮司さんがいらっしゃいません。隣接する咲前神社が兼務されているようです。御朱印はこちらでいただけます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。