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国譲りの最強の神 武甕槌大神を祀る 鹿島神宮

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神々

茨城県鹿嶋市宮中にある神社で、式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁の別表神社となっています。
全国にある鹿島神社の総本社であり、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社とされています。

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御由緒

御由緒・御祭神

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。

鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。

現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。

鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます。

引用元:鹿島神宮公式ホームページより

武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
神産みにおいて伊邪那岐命(伊弉諾尊・いざなぎ)が火神火之夜芸速男神(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張」(アメノオハバリ)の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である

引用元:「タケミカヅチ」2024年4月27日 (土) 23:37『ウィキペディア日本語版』

鹿島神宮境内

鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)
茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。
また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

引用元:「鹿島神宮」2024年2月23日 (金) 17:33『ウィキペディア日本語版』

御影石の大鳥居は、2011年に発生した東日本大震災により倒壊してしまいました。

鹿島神宮正面から見た大鳥居

2014年(平成26年6月1日)境内に自生する杉の巨木を用いて、ほぼ同寸法の鳥居が再建されました。

楼門

令和の大改修工事が行われており、楼門は上の写真の通り、工事用シートで覆われていました。
本来であれば、下の写真の通り素晴らしい楼門が建立されています。

摂社 高房社

鹿島神宮の参拝する順番として、古くから、まず高房社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあります。
葦原中国平定に最後まで服従しなかった甕星香々背男(みかぼしかがせお)を抑えるのに大きく貢献した建葉槌神が祀られています。

武甕槌大神と天香香背男の戦いはこちらをご覧ください。
ヤマトの神々との戦い 唯一無二の最強神 甕星香々背男と武葉槌命を祀る大甕神社

本殿

1619年(元和5年)に2代将軍徳川秀忠公によって寄進された社殿は本殿、石の間、幣殿、拝殿の4棟から構成されています。
参道から見て一番奥にある本殿は三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。

多くの大和系神社はご神体が東を向いているのに対して、鹿島神宮の本殿、そして奥宮も含め、北を向いています。
なぜ北を向いているのかは、北方の蝦夷、東北地方への守護を意識した配置ともいわれています。
特に武甕槌大神が唯一勝てなかった、北方に位置する天香香背男を常に警戒している配置ともいわれています。

本殿とご神木 引用元:鹿島神宮公式ホームページ

御本殿の裏にあるご神木は玉垣に囲われており、直接撮影したり、触ることはできませんでした。

仮殿

鹿島神宮では、摂社の高房社、仮殿、奥宮などご本殿の後ろにご神木が鎮座されています。

霊杉木(れいさんぼく)

「この木元二丈五尺あり かって雷による火にかかり、さらに1654年承応三年の大風で遂に倒れたが、株根は今尚生存しているので不思議とされている」。と案内板に記載されていました。

奥参道から奥宮へ

奥参道は、奥宮までの約300mの間、巨大な杉並木に覆われており、ご神域の厳かな雰囲気を味わうことができます。

神鹿園

神の使いとして鹿が大切にされています。

末社 熱田社、御祭神 素盞嗚尊・稲田姫命
素盞嗚尊をお祀りしています。明治以前は七夕社といったそうです。

摂社 奥宮

摂社 奥宮の御祭神は、武甕槌大神の荒魂が祀られています。

1605年(慶長10年)関ヶ原の戦いに勝った御礼に、徳川家康が現在の本殿の位置に本宮として奉納しました。
その14年後に2代将軍徳川秀忠公が本宮に新たな社殿を建てるため、この位置に遷宮しました。

武甕槌大神の荒御魂が祀られているご本殿とご神木。
奥宮のご神木は玉垣の外に出ているため、直接触れることができますが、私は木に手をかざすだけで、神々しいパワーが手にじわじわ感じることができました。

要石

要石(かなめいし)は、境内東方に位置する霊石です。

鹿島神宮の要石は大ナマズの「頭」を押さえています。

地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰された。要石は大鯰の頭と尾を抑える杭であるといい、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。『水戸黄門仁徳録』によれば、水戸藩主徳川光圀が7日7晩要石の周りを掘らせたが、穴は翌朝には元に戻ってしまい根元には届かなかったという。過去に神無月に起きた大地震のいくつかは、鹿島神が出雲に出向いて留守のために起きたという伝承もある。

要石

地上に見える直径30センチ、高さ7センチ程度で、形状は凹型です(ちなみに香取神宮の要石は凸型です。)

御手洗池

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。
昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊が行われるそうです。
錦鯉が泳いでいました。

御手洗池のそばに鎮座されているのは、末社 大黒社です。御祭神は大国主命だそうです。
明治以降に鎮座された比較的新しい社です。夏越祓の日、西瓜を供えて参拝する習わしがあるそうです。

翔びくらげ
翔びくらげ

茨城県には古代からの歴史のある神社が多く鎮座しています。
茨城県から北の地域では、古代から日本に祀られていた八百万の神々が住まわれ、その神々を祀る神社が多く残っていると思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

鹿島神宮公式ホームページ
「鹿島神宮」2024年2月23日 (金) 17:33『ウィキペディア日本語版』
「タケミカヅチ」2024年4月27日 (土) 23:37『ウィキペディア日本語版』

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