神無月とはどんな月?
旧暦の10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれます。
古くから、「全国の神様が出雲大社に集まり、他の地域は神様が留守になる月」と伝えられてきました。
一方で、出雲地方ではこの月を「神在月(かみありづき)」と呼び、神々を迎える「神在祭」が行われます。
しかし、そんな“神様がいない月”とされる神無月に、全国ではむしろ多くの神社で秋祭りが開かれています。
では、なぜ神様が出雲に出向かれているのにお祭りをするのでしょうか。
「神無月=神の月」という説もある
一般には「神が無い月」と書く神無月ですが、実は古語の「無(な)」は「の」という意味で使われることもあり、
**「神無月」=「神の月(かみのつき)」**という説もあります。
つまり、「神様をおまつりする月」「神に感謝する月」という意味が込められているのです。
この解釈では、神無月はむしろ神々に祈りを捧げる神聖な時期であり、祭りを行うことと矛盾しません。
秋祭りは「収穫への感謝」が中心
全国各地で行われる神無月の祭りの多くは、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を感謝する行事です。
春に種をまき、夏に育て、秋に実った稲を刈り取る――。
その豊かな実りをもたらした神々に感謝し、翌年の豊作を祈るための「秋祭り」なのです。
出雲に集まるのは主に「縁結び」「人の運命」「世の調和」を司る神々とされ、
田畑を守る神(氏神・産土神)は地元に残ると信じられてきました。
したがって、秋の収穫を祝う祭りにはちゃんと“神様がそこにいる”のです。
「留守神」をまつる風習もある
一方で、「神様が出雲へ行って留守になる」と考える地域では、
その留守を守る神をまつる「留守神祭(るすがみまつり)」という行事が行われています。
たとえば、長野県や岐阜県などでは「留守神講」と呼ばれ、
留守番の神様に感謝をささげる風習が今も残っています。
このように、神無月の祭りには「神々の留守を慰める」「地域の神を守る」という意味合いもあるのです。
出雲では「神在月」、全国から神々が集う
出雲大社では10月を「神在月」と呼び、全国の八百万(やおよろず)の神々が集まって
人と人との「縁」や「運命」について話し合うとされています。
この神議(かみはかり)に合わせて、出雲では「神在祭(かみありさい)」が盛大に行われ、
稲佐の浜では「神迎祭」で神々を海から迎える神秘的な儀式が行われます。
つまり、神無月は全国と出雲が一体となって神々を敬う月でもあるのです。
神無月の祭りに込められた意味
神無月の祭りは、「神がいないのに行う」のではなく、
むしろ神に感謝し、神を想う心が表れる月です。
- 神をまつる「神の月」
- 実りに感謝する「収穫の月」
- 留守神を敬う「守りの月」
というように、神無月は日本人の信仰心と感謝の心がもっとも豊かに表れる季節なのです。
まとめ
観点 | 内容 |
---|---|
神無月の意味 | 「神の月」という解釈もある |
お祭りの目的 | 収穫への感謝・来年の豊穣祈願 |
神々の不在 | 出雲に行くのは縁結びの神、土地神は残る |
地域の風習 | 留守神をまつる祭りが存在 |
出雲地方 | 神在祭で全国の神々を迎える |

「神無月に祭りをするのはおかしい」と思うかもしれませんが、
本来は「神様がいない」のではなく、神様に感謝し、敬う気持ちが高まる月なのです。神々を送り出し、また迎える――
その祈りの心こそ、日本の秋祭りの本質なのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「古語辞典」(小学館)
「日本国語大辞典 第二版」(小学館)
「日本書紀」「古事記」
柳田國男「年中行事覚書」(岩波文庫)