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アイヌ民族の精神!!語り継がれる使命感。アイヌの郵便逓送人 吉良平治郎

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英雄伝

猛吹雪の中、郵便を待っている人がいると出発し、約20Kgの郵便物を携え、釧路郵便局を出発します。
郵便逓送人として「責任」を最後まで全うし、ついには命を落としてしまいます。

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おいたち

吉良平治郎は1886年(明治19年)2月3日、アイヌの父はヌサシベ(和名:縫治)、母はマツツル(和名:ミツ)より釧路桂恋コタン(現在の釧路市)で生まれます。

アイヌ
北は樺太から北東の千島列島・カムチャツカ(勘察加)半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族である[3]。現在は日本国内に大部分が居住している。2019年5月に施行された「アイヌ施策推進法」では「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記されている。
引用元:「アイヌ」(2024年2月3日 (土) 00:18  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』

コタン
コタンはアイヌ語で「宅地」をさし、アイヌ民族の生活の本拠地であり、アイヌの社会を形成する最小単位である。アイヌが住む集落。
引用元:「アイヌ」(2024年2月3日 (土) 00:18  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』


平治郎は、父の死後、母が再婚し父方の叔母によって養育されました。
15歳のとき高熱を発症し(リュウマチが原因といわれる)、左手と左足が麻痺してしまいますが、その後リハビリ訓練によって少しずつ動かせるようになります。
平時は炭焼きや薪割などの仕事に従事していましたが、生活はとても貧しかったそうです。
平治郎はとても無口でした、しかし、大変働き者でどんなにつらい仕事も引き受け、依頼主より信頼されていました。

30歳を過ぎて、妻を迎え、釧路の春採コタン(現在の釧路市春採)に住んでいました。

1922年(大正11年)1月16日、釧路局と昆布森郵便局間の郵便物の逓送をするの臨時の逓送人(現在の郵便配達員)に採用されます。

平治郎が郵便局に勤めた頃は、釧路町入舟町(現:釧路市大町4丁目1)付近にあったと考えられます。

釧路郵便局と昆布森郵便局間の運搬業務

明治時代の逓送員 引用元:郵政博物館Xホームページより

平治郎は釧路町(現在の釧路市)と当時の昆布森村(現在の釧路町)のおよそ16キロメートルの道のりを逓送人として懸命に働きます。
この責任ある仕事に就けたことを何よりの誇りを持っていたそうです。

採用されて3日目、1月19日の夜更け、釧路地方は吹雪となります。
同僚に逓送に出ることを止められますが、真面目な平治郎は「郵便を待っている人がいる」と強引に出発します。

極寒の地 釧路

私も仕事の関係で釧路で冬を2シーズン過ごしたことがあります。
積雪はあまりありませんでしたが、気温は-20℃近くまで下がったこともありました。

2019年頃冬の釧路 北大通 翔びくらげ撮影
厳冬期の釧路川 川が凍結している 翔びくらげ撮影

市内を流れる釧路川は凍結し、川の上を歩いている人も見ました。
釧路市外では更に厳しい極寒の地だったと思います。

職務と殉職

単独徒歩で逓送に出発しますが、天気は途中で暴風雪となります。
猛吹雪は平治郎の視界を遮り、歩行困難となり行く手を阻みました。

釧路から約12キロメートル進んだ宿徳内に通ずる坂道にさしかかったところ暴風雪はいよいよ激しくなり、
身を切るような寒さに耐えかねて雪の中によろめき倒れてしまいます。

平治郎は、雪の中で、大切な郵便物を担いでいることを思い出し、勇気を奮って起き上がります。
そして着ていたマントを脱ぎ、郵便物が濡れないようにマントで大切に包み、雪の中に埋めました。

さらにとしていた竹棒の先に目印として自分の手拭いを結んで立てると、救助を求めて集落を目指して歩き出します。

僅か100メートル進んだところで深い雪と吹雪に平治郎は埋まり、とうとう力尽き、そのまま凍死してしまいました。

平治郎遭難が判明したのは、配達に出発した2日後の22日になってからです。
約100人からなる捜索隊が結成されて、遭難から4日目に捜索が開始されますが、その日は何も発見できませんでした。翌日になって郵便物が発見されます。

郵便物は平治郎マントに大切に包まれており、全く損傷はありませんでした。
引き続き雪の中から平治郎を発見しました。立ったままの状態で2メートル近い雪の中で絶命していたそうです。

命懸けで職責を全うした平治郎の行いは日本全国に報道されました。

その強い責任感は,人々を感動させました。
その後、小学校教科書などに「責任」という題で掲載されたそうです。

現在、記念碑が建てられていますが、碑は殉職した年の10月20日に当時の札幌逓信局長山岸氏の碑文により遭難地に建てられましたが、1974年(昭和49年)に道路改良工事に伴い、遭難地に近い現在地(吉良ヶ丘)に移されたということです。 

翔びくらげ
翔びくらげ

後で捜しに来ても分かるように、目印に杖を立てた冷静な判断力。そして、命をかけても郵便物を守り責任を果たそうとした強い責任感に頭が下がります。
吉良平治郎さんのご冥福をお祈りします。 合掌

吉良平治郎の記念碑 引用元:「吉良平治郎」(2023年3月4日 (土) 08:37  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【参考文献】

「アイヌ」(2024年2月3日 (土) 00:18  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
「吉良平治郎」(2023年3月4日 (土) 08:37  UTC版) 『ウィキペディア日本語版』
吉良平治郎殉職の碑を訪ねて 元釧路地方検察庁検事正 楠原一男

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