はじめに
日本の歴史には、正史として教科書に載るものだけでなく、古来より伝えられてきた不思議な文書や伝承が存在します。その中でもひときわ注目を集めるのが「竹内文書(たけうちもんじょ)」です。竹内文書は一般的に「偽書」とされていますが、その独自の世界観や記述の豊かさから、多くの人々の関心を引き続けてきました。そして、この竹内文書を御神体として祀る場所が、富山県に存在する「御皇城山皇祖皇太神宮(みこうじょうさん こうそこうだいじんぐう)」です。本記事では、竹内文書の成り立ちや記載内容、その真偽をめぐる議論、そして御皇城山皇祖皇太神宮の由来や地元での扱いについて詳しくご紹介いたします。
竹内文書とは何か
竹内文書は、日本の古史古伝と呼ばれる一群の文書のひとつです。古史古伝とは、古代の歴史や神話を記したとされるものの、正史である『日本書紀』や『古事記』には含まれない書物の総称です。竹内文書は、富山県高岡市の竹内家に伝わったとされ、その内容は「世界最古の歴史書」とも称されてきました。
竹内文書には、日本が世界の中心であり、天皇が世界を統治していたとされる壮大な歴史が記されています。そこには、天皇以前に存在した「天神時代」「人神時代」といった超古代の時代区分や、日本から世界各地への統治の広がりが描かれています。また、飛行船や天空を移動する船など、現代から見ても驚くべき記述も存在します。
竹内文書の成り立ちと記載内容
竹内文書は、竹内巨麿(たけうちきよまろ)によって公開されたとされています。彼は代々、文書を継承してきた竹内家の一族であり、明治から昭和初期にかけてその存在を世に広めました。
記載内容は多岐にわたり、日本の歴代天皇以前に「天神系」の王朝があったこと、さらには日本から世界各地に天皇が派遣され、地球規模の統治を行っていたことなどが語られています。なかには、現代の考古学的事実や地理的知識と矛盾する記述もあり、学術的な観点からは受け入れられていません。しかし同時に、その壮大なストーリー性は多くの人々を魅了し続けてきました。
竹内文書・竹内巨麿
現在作成中です ご期待ください
学術的見解と「偽書」論
竹内文書は、学界においては「偽書」とされています。記載の中には明らかに後世の知識や思想が混ざり込んでおり、古代から連綿と伝わった文書と考えるには無理があります。また、他の古史古伝と同様に、史実との整合性に乏しい部分も多く見られます。
戦前から戦中にかけては、竹内文書は一部の国家主義的運動と結びつき、「日本は世界の中心である」という思想を補強するために利用されました。しかし戦後はそのような思想が退けられ、竹内文書も学術的には「価値が低い」と見なされるようになりました。
とはいえ、偽書と断定されながらも研究や愛好の対象として生き続けているのは事実です。オカルトやスピリチュアルの分野では「超古代文明の証拠」として引用されることもあり、現代においても独自の存在感を放っています。

エジプト、アッシリア、シュメールなどの世界中各地の遺跡で「十六紋菊」が発見されています。
遺跡の発掘調査が進められていくうちに、竹内文書など、現在、偽書と言われている古史古伝の内容の正当性が確認される日も近いのではないでしょうか。
御皇城山皇祖皇太神宮とは

富山県立山町にある「御皇城山皇祖皇太神宮」は、竹内文書を御神体とする神宮です。この神宮は竹内巨麿が創建し、日本そして世界の中心を祀る聖地として位置づけられました。御皇城山(八幡山)という山そのものが神域とされ、山全体が大いなる祭祀の場とみなされています。
神宮の名称には「皇祖皇太」という言葉が含まれており、これは天皇の祖先神を超えて「宇宙的な存在」を祀る意図があるとされています。そのため、一般的な神社とは異なる独自の信仰体系を持ち合わせている点が特徴です。
神宮の由来と竹内巨麿の活動

竹内巨麿は竹内文書を公開することで世間に衝撃を与えましたが、それにとどまらず、自らの宗教活動の拠点として御皇城山皇祖皇太神宮を築きました。彼にとって竹内文書は単なる歴史書ではなく、神の啓示であり、実際の祭祀においても重要な位置を占めるものでした。
彼の活動は賛否両論を呼び、国家や学者からは厳しい目を向けられましたが、一部には熱心な信者を獲得しました。戦前・戦中期には思想的に利用されたこともありましたが、戦後は一宗教施設として存続し、現在も参拝が行われています。
地元における扱いと信仰の現状
御皇城山皇祖皇太神宮は、地元住民からは一般的な観光名所としてはあまり知られていません。むしろ「珍しい宗教施設」として静かに存在しています。とはいえ、竹内文書に関心を持つ研究者やスピリチュアルな愛好家が訪れることはあり、富山県の地域史における独特の位置づけを占めています。
地元では、神宮を巡る大規模な観光誘致は行われていません。しかし、歴史好きやオカルト愛好家の間では「知る人ぞ知る聖地」として話題になることがあり、徐々に認知度が高まりつつあります。
観光・パワースポットとしての御皇城山
御皇城山は、自然豊かで神秘的な雰囲気を持つ山です。竹内文書を背景に持つ神宮という点から、「隠れたパワースポット」として注目されることもあります。立山連峰のふもとに位置するため、周囲の自然環境も美しく、富山観光の一環として訪れる価値があります。
アクセスはやや不便ですが、その分、静かな時間を過ごせる場所として魅力的です。観光ガイドには大きく取り上げられることは少ないものの、神秘的な空気を味わいたい方にはおすすめのスポットです。
御皇城山皇祖皇太神宮に行くには

神宮は駐車スペースが無いため、公共機関で行くことをお勧めします。
富山駅前から、4番乗り場から出発する、「16富大付属病院朝日循環」 に乗車します。
約20分程度で「金谷口」で下車。(2025年9月時点ではスイカなどのICカードは使用できませんでした)

「金谷口」バス停より「たかた歯科医院」を目指します。
道の入口には「皇祖皇太神宮」入口の案内看板があります。

ほぼ道なりに、民家を抜けて行くと、学生寮?の建物に突き当たるので、左に曲がります。


左手に民家、畑。右手に大学の駐車場などの施設を過ぎて進むとY字の道になります。
この周囲が少し開け、駐車可能なスペース、転回できる広さがあります。(駐車される場合は自己責任で)

フェンスが設置された広く開放されたY字の道をフェンスを通り抜けて左に曲がります。
ここから約10分山道を歩きます。なるべく運動靴など歩きやすい靴をおすすめします。

あまり整備されていない山道を歩いて進みます。左手に富山市内が見下ろせます。

ゆるい上り坂を登っていきます、草木がせり出しており、身体に引っかからないよう注意が必要です。

道なりに歩いて行くと看板が見えてきます、このあたりが中間地点だと思います。

山道をひたすら道なりに歩きます。この辺で蚊の大群が群がって来ます。

神宮の石段(石ではない)まで着くと、あと僅かです。

石段(滑りやすいので注意)を昇ると第一鳥居に着きます。

「御皇城山皇祖皇太神宮」に到着です。お疲れ様でした。

四度拝八平手一度拝で、手は特殊な組み方で拝みましょう。

数多くの神様が祀られています。

小さいながらも良くお手入れされた、威厳のある本殿です。四度拝八平手一度拝

残念ながら訪れる人が少ないため、参道は草木が生い茂り、朝早いと蜘蛛の巣がはり、藪蚊の大群が群がってきます。私はご聖域内で殺生を躊躇し追い払うのに徹しました。
しかし相当数の蚊が身体中に集まっていたのに、ほどんど刺されることなく、痒くなりませんでした。
竹内文書の魅力と現代的意義
竹内文書の学術的価値は低いとされますが、それでもなお多くの人々を惹きつける理由は、その壮大な物語性にあります。超古代文明や宇宙とのつながり、日本が世界の中心であったという記述は、人々の想像力を刺激します。
また、歴史の真偽を超えて「人はなぜ神話を必要とするのか」という普遍的な問いを投げかけてくれる点にこそ、竹内文書の現代的意義があるといえるでしょう。信じるか否かは人それぞれですが、その存在を通じて私たちは歴史や宗教、文化の多様性について考える機会を得ることができます。
まとめ|真偽を超えて伝わるメッセージ
竹内文書は、学術的には偽書と断定されています。しかし、その壮大な内容や思想は、戦前から現代に至るまで人々を魅了し続けてきました。そして、富山県立山町にある御皇城山皇祖皇太神宮は、その竹内文書を象徴する聖地として存在しています。
地元では観光名所として広く知られてはいないものの、研究者や愛好家にとっては特別な場所です。真偽を超えて、竹内文書と御皇城山皇祖皇太神宮は「人が神話や物語を求める理由」を教えてくれる存在だといえるでしょう。

富山を訪れる際には、立山の自然とともに、この神秘的な聖地を訪れてみてはいかがでしょうか。
また、竹内文書、竹内巨麿氏について記事を作成中です。 ご期待ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
總庁 皇祖皇太神宮 ホームページ
「竹内文書」八幡書店
「竹内巨麿伝」八幡書店
引用元のない写真等は翔びくらげが撮影したものです