日本史

歴史

松平容保 ― 誠を貫いた悲劇の会津藩主

幕末の動乱期、京都の治安維持を担い、最後まで徳川幕府への忠義を貫いた男がいました。その名は松平容保(まつだいら かたもり)。彼は会津藩主として幕末最大の激動に立ち向かいながら、時勢の流れに抗い、「誠」の一文字を胸に戦い抜いた人物です。容保が...
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長宗我部元親 ― 四国を制した土佐の戦国武将、その生涯

戦国時代、四国の覇者として名を轟かせた男がいます。土佐の小大名から身を起こし、わずか一代で四国統一を果たした戦国武将――長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)です。静かで学問好きの青年が、やがて「鬼若子」と呼ばれるほどの武勇を発揮し、織田信長...
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新田義貞 鎌倉幕府を倒した名将は源氏の嫡流 ~後醍醐天皇に裏切られた悲運の武将!?~

関東の北、群馬県。源氏を祖とする武将が二人同じ時代に生まれました。二人は親戚であり、幼い頃はともに過ごしたこともあったと思います。そして共に戦い、最後は敵対して争います。教科書で学ぶ足利幕府を築く、足利尊氏と新田義貞です。しかし生まれたとき...
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新田義貞 新田の旗を鎌倉に掲げよ!! ~鎌倉への再起をかけた道~

無位無官という地位から、同じ源氏の祖をもつ新田氏を粗末に扱う鎌倉幕府。再起をかけ「打倒鎌倉!!」を合言葉に、生品神社に集まった新田義貞と新田一族。彼らはどのように兵を集め、鎌倉に立ち向かうのでしょうか。新田義貞の挙兵生品神社の鳥居から社殿 ...
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最古の多胡碑は羊太夫の終焉の地だった!? ~村人が埋めてまで守った多胡碑~ 羊太夫の足跡を訪ねて1

群馬県高崎市に多胡碑という、不思議な石碑があります。その石碑にまつわる、羊太夫の伝説を知り、ずっと訪問してみたいと思っていました。今回、羊太夫の故郷である群馬県高崎市を訪れ多胡碑、そして羊太夫について調べてみました。多胡碑現在の群馬県高崎市...
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羊太夫の伝説は本当にあった史実だった! 羊太夫の足跡を訪ねて2

知れば知るほど謎が深まる羊太夫。前回、訪問できなかった、羊太夫の足跡を求めて再び群馬県、埼玉県と訪問してきました。羊太夫伝説は羊太夫の足跡は、群馬県、埼玉県を中心に、遠くは愛知県にもあります。今回、各地を訪れて感じたことは、「千年の時代を経...
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羊太夫が空を飛んで参勤した伝説は本当だった!愛知県名古屋に休憩した神社が存在した! ~羊太夫の足跡を訪ねて(名古屋編)

羊太夫の伝説は、関東の各地に多く残っていますが、驚くことに、名古屋にも羊太夫の伝説が残っていました。今回、名古屋の羊神社へ行ってきました。名古屋にある羊神社愛知県名古屋市にある羊神社 翔びくらげ撮影創建年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』にお...
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熱心なクリスチャン長野政雄は、乗客のため暴走する列車を止めた壮絶な行動!!神と隣人のためにいつでも命をささげる決意をしていた。

日本の鉄道は1872年10月14日(明治5年9月12日)に、新橋駅 - 横浜駅間で開業しました。当時の鉄道はまだまだ問題も多く、時には悲惨な事故が発生していたようです。今回は、北海道で起きた鉄道事故に勇猛果敢に挑んだ、長野政雄さんを紹介しま...
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仲間のために山中を激走!! 命をかけて援軍の到着を伝えた忠義心 鳥居強右衛門の壮絶な最後!!鈴木金七郎も同行していた新事実! 24年7月現地調査追記!

天正3年(1575年)、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ、落城寸前でした。足軽の鳥居強右衛門は城を抜け出し野山を走り、岡崎城の信長や家康に援軍を要請に向います。このときに鈴木金七郎も同行していたそうです。そして再び味方が守る長篠城へ帰城するた...
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初任務はコレラが流行する村の救済だった!! 神様となって村を守った警察官 増田敬太郎の不眠不休の4日間!

増田敬太郎は、明治時代に流行した、コレラの防疫に懸命に尽くした唐津警察署の巡査です。敬太郎がどのようにして佐賀県で肥前町高串地区での初任務を行い、コレラから村を救ったのでしょうか!?世の中のためになる仕事1869年(明治2年)8月10日、熊...
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